「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」

2024年11月20日

末期癌の宣告とその後の100日。そして死。

 8月5日未明、トイレの最中に意識混濁状態となった。経験の無い不調に、翌日総合病院を受信した。結果は「末期癌」。胃癌が巨大化して既にステージ4。患部からの出血が酷く治療は困難ということで、「余命は数日かも」と伝えられた。応急処置として輸血の処置をして貰い2日間で退院し、勧められた在宅医療と契約した。

 体調が優れないことは前々から薄々感じていた。筋トレやウオーキング効果が出てたと思ってた体重減少も癌の影響だったということだ。春先からウオーキングや階段の上り下りなどで息切れや動悸が激しかったのでもうその時は病魔は進行してたのだろう。そんなこともあって、末期癌を宣告された際は驚きはなかった。

 一日一生を気取り、生命保険には入らず、家庭を顧みずに活動して来た愚生に過分な治療費など捻出出来るものでもないし、病院のベットで死を迎えるというのも死生観にそぐわない。隣で説明を聴いていたかみさんの涙が切なかった。

 退院し、余命が少ないということで支援者への挨拶や友人・知人への連絡、兄姉への形見分けなど慌ただしく済ませた。かみさんには前々から「死んでから」のことは手紙に書いたり説明して来たが、葬儀告別式はやらないし、火葬も誰も呼ばないことなどを再確認。死ぬことは意外と面倒臭い。大変なのは本人よりかみさんだな。

 退院後数日は入院前以上に眩暈や動悸が激しく横になってることが多くなった。それでも、輸血が効いたのか、支援者の強力な護摩焚きの御蔭か、徐々に動けるようになり、階段の上り下りや、外出や外食なども出来る様にもなった。

 だがそれも束の間、徐々に体力は堕ち、体重が大幅に減って行った。癌の好物は筋肉や脂肪、幾ら体力増強を図っても老い付く手立ては無いし、食欲もガタンと落ちた。面会も友人との細やかな宴席が最後だったな。愚生は水杯で付き合った。

 その数日後、いつもの様にうとうとしてると腹部に違和感。間もなく劇痛に襲われた。激痛でもある尿管結石の経験は4回ほどあり我慢は出来るが、その数倍の痛さに看護を要請して措置して貰った。モルヒネ投与の始まりとなった。

 3ヶ月前は歳の割には筋骨隆々のおっさんがいたが、今や飢えで亡くなられた帝国軍人や徴用工の銅像そのものの骨と皮だけになってしまった愚生がいる。癌というのは斯くも壮絶なものなのか。10月も半ば過ぎになると食べものさえ受け付けなくなった。痛みも酷くなり、今はモルヒネの張り薬や痛み止めでどうにか抑えている。

 年寄りというのは転ぶと顔面をよく強打する。愚生の知り合いもそうだったが、まさか自分は大丈夫だろうと思っていたら、過日、夜中にトイレに起きた際のよろけでて転んだ。咄嗟に手を付いたのだが筋力が落ちてるので身体の重みを支えきれず顔面を強打した。以来、トイレに行くのも儘ならず。何の為に生きてるのだろう。

「尊厳死」を優先して欲しいが、医は仁術ではなく算術なので儲かる終末医療を容易に手放すことはないだろうが、患者の痛みを思えば長生きさせることは虐待であり、人権の侵害だと思う。早く彼の世に連れてって欲しいものだ。11月に入ると立ち上がることも容易じゃ無くなり、水を飲んでも戻す様になってしまった。

 看護婦が前々から「吐き気はありませんか?」としつこく聞いて来たのはこういうことだったのか。今は水は飲めないので氷をチョッとずつ舐めて渇きを防いでいる。栄養分もロクに採れないのでそんなに長くは生きないが、然し好く水だけで生きてるよなぁ。自分でも断食の修行僧より凄いのではと思ったりしている(笑)

「酔い覚めの水、千両と値が決まり」とか「酔い覚めの水、下戸知らず」というが、冷えたグラスで飲むあの冷たい水くらい美味しいものはない。サウナで汗かいて、心臓が止まりそうなくらいの水風呂に入って、湯上りに生ビール。考えただけでも堪らない。願いが叶うなら、死ぬ前に冷たい水を溺れるほど飲みたいものだ。

 余命宣告を受けた8月に逝ってりゃこんな辛い目に合わずに済んだのかな。声も枯れてしまい思う様に出ないからかみさんを呼ぶのは熊除けの鈴。毎回、眠りに就く際には目が覚めないことを祈る。だが、目が覚めてがっガリの繰り返し。

 癌は脳梗塞よりマシだと思っていたが辛いのは同じだな。やはり健康が一番。癌検診とまでは言わないが、せめて市から届く無料の健康診断は受けた方が好い。

「病気とは何を食べどんな生活をして来たか」に尽きるという。若い頃からの暴飲暴食や食べ歩きが悪かったかも知れないが、やはり、その人の持つ運命、寿命だろう。

 当たり前に水が美味しく飲める普段の生活が有り難いこと。美味いと感じるのは健康だから。適度な運動と睡眠が大事。ストレスは溜めない。今更乍らの教訓として欲しい。モルヒネの薬が効いて脳が覚束無い中で最後のブログをアップしてみた。

 右翼活動家として気の利いた辞世でも遺したいが謡心の無い乞食右翼だから儘ならない。最後に皆々様の益々の御健勝を祈念して擱筆します。合掌 佐久間五郎拝

cordial8317 at 21:40│Comments(0)

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