2023年12月31日
今年は当該ブログは一日も欠かさずアップしてみたが・・・
「徒然草」の書き出しは「つれづれなるままに 日ぐらしすずりにむかひて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」と綴られている。ブログやSNSも似た様なもので、毎日起こる意味もない由無し事を綴っては、もの狂おしく一喜一憂しているというのも空しいものである。
吉田兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮するし、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。愚生も右翼浪人という生き方に限界を感じつつも、この身在る限りせめてその精神だけは一維新者として自由で強く在りたいと思う。
今年は期することがあり、政治思想の当該ブログは元旦から一日も欠かさずにアップしてみた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というが、遣り過ぎというのは厭きられるということを痛感した。やはり、何事も程程が肝要ということだ(笑)
「預言者郷里(世)に容れられず(新約聖書ルカ福音書四章)」という言葉がある。優れた人物は、故郷や世の中では受け容れられないことが多いという喩えである。「受け容れられない」というより「受け容れたくない」というのがホンネだろう。
「受け容れたくない」という気持ちにしても、批判にしても、往往にして嫉妬から出てることが多く、友人知人など身近な者が出世したり、カネ儲けで成功したり、優れていればいる程ヤキモチを焼くのは人間の性というもなのかも知れない。
見方を変えれば、批判や嫉妬というものはその人の実力を認めてる裏返しでもあるから、一々気に留める必要もないのは分かってはいるが、やはり批判は気になるものだ。批判を受け入れることで気付くこともあり、批判と賛同は表裏一体である。
「人は故郷を離れて貴し」という。また「 近くの坊さんえらくない」という喩えもあれば、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という諺もある。
身近な者や身近な人の意見というのは中々耳に入ることもない。例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて有難く感じないもので、それと同じで身近な人からの意見や苦言は軽んじられることが少なくない。愚生のブログも似た様なものか(笑)
だが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするもの。愚生のブログを偉人と比べるのは僭越だが、例えばキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほど殺されている。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くは「バカ」とか「キチガイ」扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイは「天動説」が当り前だった時代に、地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかったのは当然のことといえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは「世を誑かす者だ」として宗教裁判に懸けられた。
これが当時の大勢であり正論だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ず。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。
何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもな。「あの人はイイ人だ」とか「あのことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方がイイだろう。
大勢の意見や正論というのはいつの世も創られるもので、単に平均的意見に過ぎない。愚生にしても、ブログやSNSでいつもいつも同じ様な薀蓄や能書きを綴ってると、有難みも薄れるし、軽んじられてしまうのは当たり前のことでもある。
まぁ、愚生は預言者ではなく無頼派右翼。「郷里に受け容れられず」というより「近きは糞の香」くらいにしか思われてはいないのは何となく気付いている。毎日毎日、同じ様な主張を垂れ流されてうんざりした人も少なくなかったかもなぁ。
読めばかなり勉強になると自負してるが、文章は長いし、難解な漢字も登場するから、「難しい」とロクに読まないで拒否してる人も少なくない。「読書百遍義自ずから見る」という様に繰り返し読むことで、真意を得ることが出来るだろう。
顧みれば、今年も怠惰な一年があっという間に過ぎ様としている。右翼団体の活動が岐路を迎えているが、今後も組織に与せず、新たな運動形態を模索しつつ、微力乍ら天皇国日本を盤石の安きに置くべく程程に獅子吼して行くつもりです(笑)
今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた方々及び御支援を賜った皆様方に心より感謝を申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある一年と成ります様に御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。
令和五年 皇紀二千六百八十三年 師走臘日 佐久間五郎拝
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
吉田兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮するし、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。愚生も右翼浪人という生き方に限界を感じつつも、この身在る限りせめてその精神だけは一維新者として自由で強く在りたいと思う。
今年は期することがあり、政治思想の当該ブログは元旦から一日も欠かさずにアップしてみた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というが、遣り過ぎというのは厭きられるということを痛感した。やはり、何事も程程が肝要ということだ(笑)
「預言者郷里(世)に容れられず(新約聖書ルカ福音書四章)」という言葉がある。優れた人物は、故郷や世の中では受け容れられないことが多いという喩えである。「受け容れられない」というより「受け容れたくない」というのがホンネだろう。
「受け容れたくない」という気持ちにしても、批判にしても、往往にして嫉妬から出てることが多く、友人知人など身近な者が出世したり、カネ儲けで成功したり、優れていればいる程ヤキモチを焼くのは人間の性というもなのかも知れない。
見方を変えれば、批判や嫉妬というものはその人の実力を認めてる裏返しでもあるから、一々気に留める必要もないのは分かってはいるが、やはり批判は気になるものだ。批判を受け入れることで気付くこともあり、批判と賛同は表裏一体である。
「人は故郷を離れて貴し」という。また「 近くの坊さんえらくない」という喩えもあれば、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という諺もある。
身近な者や身近な人の意見というのは中々耳に入ることもない。例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて有難く感じないもので、それと同じで身近な人からの意見や苦言は軽んじられることが少なくない。愚生のブログも似た様なものか(笑)
だが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするもの。愚生のブログを偉人と比べるのは僭越だが、例えばキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほど殺されている。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くは「バカ」とか「キチガイ」扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイは「天動説」が当り前だった時代に、地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかったのは当然のことといえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは「世を誑かす者だ」として宗教裁判に懸けられた。
これが当時の大勢であり正論だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ず。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。
何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもな。「あの人はイイ人だ」とか「あのことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方がイイだろう。
大勢の意見や正論というのはいつの世も創られるもので、単に平均的意見に過ぎない。愚生にしても、ブログやSNSでいつもいつも同じ様な薀蓄や能書きを綴ってると、有難みも薄れるし、軽んじられてしまうのは当たり前のことでもある。
まぁ、愚生は預言者ではなく無頼派右翼。「郷里に受け容れられず」というより「近きは糞の香」くらいにしか思われてはいないのは何となく気付いている。毎日毎日、同じ様な主張を垂れ流されてうんざりした人も少なくなかったかもなぁ。
読めばかなり勉強になると自負してるが、文章は長いし、難解な漢字も登場するから、「難しい」とロクに読まないで拒否してる人も少なくない。「読書百遍義自ずから見る」という様に繰り返し読むことで、真意を得ることが出来るだろう。
顧みれば、今年も怠惰な一年があっという間に過ぎ様としている。右翼団体の活動が岐路を迎えているが、今後も組織に与せず、新たな運動形態を模索しつつ、微力乍ら天皇国日本を盤石の安きに置くべく程程に獅子吼して行くつもりです(笑)
今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた方々及び御支援を賜った皆様方に心より感謝を申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある一年と成ります様に御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。
令和五年 皇紀二千六百八十三年 師走臘日 佐久間五郎拝
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:56│Comments(0)
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