伊藤博文暗殺犯は安重根ではないことは歴史的にも明らか言葉の多き・負け惜しみ・差し出口・言葉のすぐるは愛想なし(良寛)

2023年05月22日

この世を超え生き代わり死に代わりつつ「永遠」に生き続ける魂がある

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」とは吉田松陰が高杉晋作に認めた手紙の一文だと言われている。

「喩え死んだとしても、朽ち果てることの無い意義があれば死を選ぶことも選択肢の一つ、生きることで己の志が達成出来るなら、どんなことをしても生き延びなさい」という意味だと理解する。要は、「死ぬ気で生きろ」との教えにも感じ取れる。

 獄中にいた師を、高杉晋作ら松下村塾の塾生らが懸命に助け出そうとしていた時に、松陰は晋作にこの手紙を託す。晋作は師が没した4年後、師の「草莽崛起」の訓えを受継ぎ「奇兵隊」を組織し、生きることで明治新時代の礎を築いたのだ。

 この世を超え、生き代わり死に代わりつつ永遠に生き続ける魂がある。南北朝時代の乱世に生きた楠木兄弟然り。正成は討死の直前、弟の正季(まさすえ)に「人は死ぬ直前の思いによって生まれ代わる先が違ってくるという。人が生まれ代わる先には九つの世界が在るらしいが、お前はどの世界に生まれ代わりたいか」と尋ねる。

 正季はカラカラカラと打ち笑いて、「七生までも同じく人間の世界に生れ代わり、朝敵を滅ぼしたいものです」と応える。この逸話こそ「七生報国」の原意である。

 正季の決死の覚悟を聞いた正成は、よに嬉しげなる気色で「罪深き悪念では有るが、私もそう思ってたところだ。さあ、共に人間の世界に生まれ代わって、その願いを果たそうではないか」と語り、二人は討死するのである。楠木兄弟は、死して不朽の見込みを確信していたからこそ「笑って逝く」ことが出来たのであろう。

 歴史上、その様な生き方をし、死に方をした人々は無数に存在する。何より、先の大東亜戦争で護国の鬼となり見事な最後を遂げた英霊も「義」を貫いた方々であり、その精神は決して朽ち果てることはない。あの若者達の最後は、我々の想像を絶する渾身の悲しみや苦しみの世界を潜り抜けた末の決断と行動だったに違いない。

 英霊の方々の出撃直前の様様な記録や写真などから感じるものは、悲壮感というより、正に楠木兄弟と同じ、「よに嬉しげな気色」の様な不思議な透明感である。

 特攻隊の若者達の最後は、余人の想像を絶する悲しみや苦しみの世界を潜り抜けたに違いない。出撃直前の様様な記録から感じるのは、正に「カラカラカラと打ち笑って」とでも「よに嬉しげな気色」とでも言いたげな不思議な透明感である。

 正に松陰の「不朽の見込みあらば」そのものの行動である。生き続けるしか出来ない我々は、「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」ということを身を以て示した彼らの崇高な精神を忘れてはならないのではないだろうか。

 命を賭して行動した彼らの行為を論うことなど烏滸がましいことだ。だがそうした彼らを「犯罪者」呼ばわりし、敗戦の責任を被った方々を「戦犯」だと称し、或いは特攻隊を「無駄死」だとする輩がいることも確か。日本人として恥ずかしい。

 来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝、野村秋介も同様であり、楠木兄弟と英霊の方々の護国・報国の精神は、時空を超えて明らかに感応している。

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