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2023年04月10日

神社参拝で最後の一礼の際に何故か手を合わせて祈っているが

 神社での参拝で、二拍手の後で最後の一礼をせずに手を合わせてる人が殆ど。二礼二拍手一礼の後に頭を垂れて祈願するのが神社の作法であって手を合わせて祈るのは寺での作法である。まぁこれも日本人らしい神仏習合の姿なのだろうか(笑)

 戦後、GHQの所謂「神道指令」の下、住民と神社との分断を謀ろうと各地に集会所が建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内や神主宅で行われることが多かった。だが、GHQの謀で戦後は神社ではなく集会所で行われることとなった。

 昔はテレビでは「二礼二拍手一礼」という神社の作法が、GHQが謀った神道指令の報道規制に触れる為か冒頭の一礼で終わり映像が別のシーン替えられたりしていたと記憶する。そういう意味では参拝のシーンが映され出したのは結構なことだ。

 参拝者の多くが、二礼二拍手までは好いのだが、最後の一礼の際に何故か手を合わせて祈っている人が殆ど。寺じゃないのだから手を合わせるのではなく、一礼の後には頭を下げるのが正しい。拍手も神を呼ぶもので大きな音を出すのが好い。

 神様を拝むには先ず心身を清めることが大事で、仏教にしろ宗教も同じ。神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。伊勢神宮に未だ橋が無かった時代には本殿に参拝するには五十鈴川を渡らねばならず、自然に禊が出来る様になっていた。

 神社には参道や本殿近くに「手水舎(てみずや)」が置かれているので、ここで身を清める。手水舎は「禊」の場所であり、神社では重要な場所なのである。手や口も清めずに本殿に参じることはイケません。 手水を取る作法は次の通り。

1 先ず、右手で柄杓を取り、清水を汲み左手に掛け清める。
2 次に柄杓を持ち替え、同じ様に右手を清める
3 再び柄杓を右手に戻し、左手に清水を注ぎ口を漱ぐ
4 最後に柄杓を立てながら残った清水で柄杓を清め、伏せて置く

 そうして参道を通り神前へ向かうのだが、参道の中央は神様の通る道なので、真ん中を避けて歩くことが礼儀。堂々と真ん中を歩いている人が多いが間違いだ。

 神前に立ち、賽銭を入れ、鈴(ある場合)を鳴らし、「二礼二拍手一礼」で参拝する。礼が終わったら頭を垂れ、「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」と唱え、感謝の言葉や願懸けをする。最後の一礼の際に両手を合わせ祈っている人がいるが、寺院ではないので頭を垂れるのが社頭での正しい参拝の作法である。

 全国に神社は沢山在るが「神様とは何か」「神道とは何か」を知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)としての天皇とは何か」「祭祀とは何故に重要か」ということを教わることも、知ろうともしない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。当たり前の様に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。神道を学べとは言わないまでもせめて参拝の作法を覚えて欲しい。

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cordial8317 at 06:09│Comments(0)

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