2021年09月10日
高市早苗の立候補表明に総理総裁への飽くなき野望を垣間見た
高市早苗が正式に自民党総裁選への立候補を表明し日本強靭化計画「サナエノミクス」での経済政策を始め新型コロナ対策や靖國神社参拝などの持論を訴えた。
新聞報道だけじゃ信用ならなのでネット検索してみると、新聞報道は高市が発言した一部の切り貼りばかりで都合の悪い部分は全てカットされている。「知る権利」を翳しながらこうした世論操作ではオールドメディアの終焉も近いと痛感する。
高市は「国の究極の使命は国民の皆様の生命と財産、領土、領海、領空、資源、そして国家の主権と名誉を守り抜くこと」と語った。出来ることならそこに「民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度という世界の中で最も優れた我が国の精神文化を護り、継承して行く為に私の全てを懸けて働く」と加えたら完璧だったな。
新型コロナに関してロックダウン(都市封鎖)を可能にする法整備ばかりが作為的に報じられてるが、高市は「抗体カクテル」や「レムデシビル」「バリシチニブ」「デキタメタゾン」を感染者へ処方し治療を進め、治療薬の「国内生産体制」を確立するとの訴えは全く報道されていない。このどこが公正公平な報道なのか。
高市のNHK改革の「受信料引下げの為の営業経費削減」や、電波法に絡む「放送波削減」並びに「子会社改革等のNHK改革」の提言はあからさまに無視。偏向報道著しいNHKの諸問題を放置し続けた政治家の不作為は赦し難く、高市には受信料値下げの議論に止まらず、NHKの存在の是非にも切り込んで頂きたいものだ。
福島第一原発周辺に溜まり続ける処理水に関して「日本全体に風評被害を広げる可能性がある。そのリスクがある限り海洋放出の決断はしない」と語ったことには驚いた。折角、菅首相が海洋放出を決断したのに元の木阿弥にするつもりなのか。新聞報道の海洋放出撤回発言が事実なら、県民の一人としても合点が行かない。
処理水の海洋放出決断という数少ない菅総理の功績の一つを撤回というのは他に意図があるのか。風評被害とは非科学的な感情論であり、反原発派が存在する限り原発事故の風評は止むことは無い。処理水に含むトリチウムなどの放射線が及ぼす人体への影響のリスクじゃなく「風評被害のリスク」とは開いた口が塞がらない。
処理水の海洋放出は世界の常識であり福島原発が特別ではない。真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解」とか「風評被害へのリスク」という感情論ではなく、正しい科学的データを自ら内外に広めることこそ求められる。
細野豪志元環境相が「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」と発言すると、反原発派から「失礼なことを言うな。水道局に謝れ」となったのを思い出す。だが、その水道局では「トリチウム入ってない水ってどこで買えるの?」と応えた(笑)
麻生太郎財務大臣が「処理水は飲んでも大丈夫らしい」と発言すると、反原発派は「麻生に飲ませろ!」と大騒ぎ。麻生に飲ませてどうするのと思うが、高市の対応は麻生の認識とも相違するもので高市自身が風評を煽っている気もする。
そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純教授に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)
チェルノブイリや福島原発事故を受けて、高田教授は自ら汚染水を飲んで放射線セシウムの半減期は100日という科学的根拠を示した。セシウムでの被害者はいないのにセシウムの700分の1程度の放射線トリチウムに怯え悪意ある風評を垂れ流す。
原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。処理水の海洋放出を大騒ぐことこそ風評被害を招く結果となっていることを高市はどう感じてるのか。
「流言飛語」や「デマ」が「風評」という余計な混乱を生む。「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマゴギー(虚偽の情報。悪宣伝。)」という意味。「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。
何の問題もない処理水の海洋放出を、恰も危険であるかの様な流言を撒き散らしたのは反原発派という蜚蠊ども。高市がそうした愚論に与するとは情けない。
高市は自民党内では正統な保守政治家の一人であるのは誰もが認めるところ。他の立候補者に比べれば国家観も確りしており期待は持てるが、靖國神社参拝に関して言えば、確かに信教の自由だが8月15日に拘るのは不思議でならない。8月15日の参拝で途絶えてしまった歴代総理の春秋の例大祭への参拝を復活させるべきである。
憲法改正にしても安倍らが謀る「取り敢えず第九条改正」は、現憲法を認める究極の護憲運動である。自民党は改憲政党ではなく新憲法制定(自主憲法制定)が党是であり、現憲法の矛盾を指摘して新憲法の制定こそ訴えるべきだ。
要は、なんちゃって改憲にせよ靖國参拝にしても保守票を取り込む目晦ましであり、処理水の海洋放出撤回も福島県民を慮っての施策というより単なる世論迎合としか思えない。海洋放出を粛々と実行することこそ風評を抑える妙手である。
所詮は自民党が支持されてるのと同じく「でもしか」政治家であり、「高市くらいしか」とか「高市にでも」という支持では先が思い遣られる。結局、政治と言うのは勝たなきゃ意味がないから、世論に媚びる大衆迎合から脱却出来ないのだ。
政治とは、国家観を重んじながら国民目線とかけ離れた高尚な人間観や世界観を持ち、その時々には高度な権謀術数を必要とするものあらねばならない。高市の会見と政策に目を通しながら、権力の象徴である総理総裁への飽くなき野望を垣間見た。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
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新聞報道だけじゃ信用ならなのでネット検索してみると、新聞報道は高市が発言した一部の切り貼りばかりで都合の悪い部分は全てカットされている。「知る権利」を翳しながらこうした世論操作ではオールドメディアの終焉も近いと痛感する。
高市は「国の究極の使命は国民の皆様の生命と財産、領土、領海、領空、資源、そして国家の主権と名誉を守り抜くこと」と語った。出来ることならそこに「民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度という世界の中で最も優れた我が国の精神文化を護り、継承して行く為に私の全てを懸けて働く」と加えたら完璧だったな。
新型コロナに関してロックダウン(都市封鎖)を可能にする法整備ばかりが作為的に報じられてるが、高市は「抗体カクテル」や「レムデシビル」「バリシチニブ」「デキタメタゾン」を感染者へ処方し治療を進め、治療薬の「国内生産体制」を確立するとの訴えは全く報道されていない。このどこが公正公平な報道なのか。
高市のNHK改革の「受信料引下げの為の営業経費削減」や、電波法に絡む「放送波削減」並びに「子会社改革等のNHK改革」の提言はあからさまに無視。偏向報道著しいNHKの諸問題を放置し続けた政治家の不作為は赦し難く、高市には受信料値下げの議論に止まらず、NHKの存在の是非にも切り込んで頂きたいものだ。
福島第一原発周辺に溜まり続ける処理水に関して「日本全体に風評被害を広げる可能性がある。そのリスクがある限り海洋放出の決断はしない」と語ったことには驚いた。折角、菅首相が海洋放出を決断したのに元の木阿弥にするつもりなのか。新聞報道の海洋放出撤回発言が事実なら、県民の一人としても合点が行かない。
処理水の海洋放出決断という数少ない菅総理の功績の一つを撤回というのは他に意図があるのか。風評被害とは非科学的な感情論であり、反原発派が存在する限り原発事故の風評は止むことは無い。処理水に含むトリチウムなどの放射線が及ぼす人体への影響のリスクじゃなく「風評被害のリスク」とは開いた口が塞がらない。
処理水の海洋放出は世界の常識であり福島原発が特別ではない。真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解」とか「風評被害へのリスク」という感情論ではなく、正しい科学的データを自ら内外に広めることこそ求められる。
細野豪志元環境相が「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」と発言すると、反原発派から「失礼なことを言うな。水道局に謝れ」となったのを思い出す。だが、その水道局では「トリチウム入ってない水ってどこで買えるの?」と応えた(笑)
麻生太郎財務大臣が「処理水は飲んでも大丈夫らしい」と発言すると、反原発派は「麻生に飲ませろ!」と大騒ぎ。麻生に飲ませてどうするのと思うが、高市の対応は麻生の認識とも相違するもので高市自身が風評を煽っている気もする。
そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純教授に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)
チェルノブイリや福島原発事故を受けて、高田教授は自ら汚染水を飲んで放射線セシウムの半減期は100日という科学的根拠を示した。セシウムでの被害者はいないのにセシウムの700分の1程度の放射線トリチウムに怯え悪意ある風評を垂れ流す。
原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。処理水の海洋放出を大騒ぐことこそ風評被害を招く結果となっていることを高市はどう感じてるのか。
「流言飛語」や「デマ」が「風評」という余計な混乱を生む。「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマゴギー(虚偽の情報。悪宣伝。)」という意味。「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。
何の問題もない処理水の海洋放出を、恰も危険であるかの様な流言を撒き散らしたのは反原発派という蜚蠊ども。高市がそうした愚論に与するとは情けない。
高市は自民党内では正統な保守政治家の一人であるのは誰もが認めるところ。他の立候補者に比べれば国家観も確りしており期待は持てるが、靖國神社参拝に関して言えば、確かに信教の自由だが8月15日に拘るのは不思議でならない。8月15日の参拝で途絶えてしまった歴代総理の春秋の例大祭への参拝を復活させるべきである。
憲法改正にしても安倍らが謀る「取り敢えず第九条改正」は、現憲法を認める究極の護憲運動である。自民党は改憲政党ではなく新憲法制定(自主憲法制定)が党是であり、現憲法の矛盾を指摘して新憲法の制定こそ訴えるべきだ。
要は、なんちゃって改憲にせよ靖國参拝にしても保守票を取り込む目晦ましであり、処理水の海洋放出撤回も福島県民を慮っての施策というより単なる世論迎合としか思えない。海洋放出を粛々と実行することこそ風評を抑える妙手である。
所詮は自民党が支持されてるのと同じく「でもしか」政治家であり、「高市くらいしか」とか「高市にでも」という支持では先が思い遣られる。結局、政治と言うのは勝たなきゃ意味がないから、世論に媚びる大衆迎合から脱却出来ないのだ。
政治とは、国家観を重んじながら国民目線とかけ離れた高尚な人間観や世界観を持ち、その時々には高度な権謀術数を必要とするものあらねばならない。高市の会見と政策に目を通しながら、権力の象徴である総理総裁への飽くなき野望を垣間見た。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
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