2021年07月13日
「剣聖」と称された宮本武蔵の処世術に学ぶ
宮本武蔵は言わずと知れた、江戸時代初期の剣術家であり、大名家に仕えた兵法家で芸術家でもあった。二刀を用いる二天一流兵法の開祖で、京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘は誰もが知る逸話である。
武蔵と言えば、剣術の奥義を纏めた「五輪書」が有名だろう。書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それに準えて「地・水・火・風・空」の五巻に分かれる。
〈地の巻〉自らの流を二天一流と名付けたこと、生涯と兵法のあらましが書かれた巻。「真っ直ぐな道を地面に書く」ということに準えて「地の巻」。
〈水の巻〉二天一流での心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関する巻。「二天一流の水を手本とする」剣捌き、体捌きを例えて「水の巻」。
〈火の巻〉戦いのこと。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いに於いての心構えなどが書かれている。戦いを火の勢いに見立て「火の巻」。
〈風の巻〉他の流派について書かれている。「風」というのは、昔風とか今風とか夫夫の家風などのこと。他流派を批判し自らの二天一流の有用性を説いている。
〈空の巻〉兵法の本質としての「空」について書かれている。
「五輪書」での教えで「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。この「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方(思想)である。
この万里一空こそが、武蔵が修業の中で確立された剣術への思想の根本でもある。「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これを実際に行動に繋げるのは実に難しい。
武蔵は死の直前、弟子らに「独行道」という21ヶ条の置文を遺している。
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろづに依枯の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間欲心思はず
一、我事におゐて後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いづれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、恋慕の道思ひよるこゝろなし
一、物毎に数奇このむ事なし
一、私宅におゐてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別、余の道具たしなまず
一、道におゐては、死をいとはず思ふ
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し、仏神をたのまず
一、身を捨ても名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
この訓えの一つに、「いづれの道にもわかれをかなしまず」というのが記されてある。別れというものは悲しいことではあるが、死別に限らず、生きていれば別離というものは避けては通れない。全ての生き物に平等に与えられてる必然である。
「かなしまず」とは、武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。
酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。飲みたいが、或いは、吸いたいが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。
そう思う時、武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで、熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いないと想像する。
五輪書の「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」との教えとは程遠く、何か事が起これば右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に意味もない。
天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを日日の精進で涵養することこそ大事。
五輪書には「一つの目標に向かって精進する」と在る。独行道には「常に兵法の道をはなれず」と在る。目指した目標があるなら、その志を忘れず、困難に決して挫けることなく真っ直ぐ生きねばならない。男の修業とは斯く在りたいものだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
武蔵と言えば、剣術の奥義を纏めた「五輪書」が有名だろう。書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それに準えて「地・水・火・風・空」の五巻に分かれる。
〈地の巻〉自らの流を二天一流と名付けたこと、生涯と兵法のあらましが書かれた巻。「真っ直ぐな道を地面に書く」ということに準えて「地の巻」。
〈水の巻〉二天一流での心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関する巻。「二天一流の水を手本とする」剣捌き、体捌きを例えて「水の巻」。
〈火の巻〉戦いのこと。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いに於いての心構えなどが書かれている。戦いを火の勢いに見立て「火の巻」。
〈風の巻〉他の流派について書かれている。「風」というのは、昔風とか今風とか夫夫の家風などのこと。他流派を批判し自らの二天一流の有用性を説いている。
〈空の巻〉兵法の本質としての「空」について書かれている。
「五輪書」での教えで「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。この「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方(思想)である。
この万里一空こそが、武蔵が修業の中で確立された剣術への思想の根本でもある。「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これを実際に行動に繋げるのは実に難しい。
武蔵は死の直前、弟子らに「独行道」という21ヶ条の置文を遺している。
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろづに依枯の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間欲心思はず
一、我事におゐて後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いづれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、恋慕の道思ひよるこゝろなし
一、物毎に数奇このむ事なし
一、私宅におゐてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別、余の道具たしなまず
一、道におゐては、死をいとはず思ふ
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し、仏神をたのまず
一、身を捨ても名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
この訓えの一つに、「いづれの道にもわかれをかなしまず」というのが記されてある。別れというものは悲しいことではあるが、死別に限らず、生きていれば別離というものは避けては通れない。全ての生き物に平等に与えられてる必然である。
「かなしまず」とは、武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。
酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。飲みたいが、或いは、吸いたいが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。
そう思う時、武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで、熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いないと想像する。
五輪書の「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」との教えとは程遠く、何か事が起これば右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に意味もない。
天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを日日の精進で涵養することこそ大事。
五輪書には「一つの目標に向かって精進する」と在る。独行道には「常に兵法の道をはなれず」と在る。目指した目標があるなら、その志を忘れず、困難に決して挫けることなく真っ直ぐ生きねばならない。男の修業とは斯く在りたいものだ。
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cordial8317 at 07:01│Comments(0)
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