2021年02月06日
森喜朗バッシングは男女共同参画社会や男女雇用均等法の弊害
「女性が沢山入っている理事会の会議は時間がかかります」との森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長へのバッシングが止まらない。女性への揶揄や冷やかし程度の発言を赦さない風潮や不寛容さにはうんざりする。
「井戸端会議」という言葉がある。井戸の側で女性が水汲みや洗濯をしながら世間話をすること。暇を見つけて集まってする他愛のない御喋りのこと。
女性というのは多く集まると余計な話に及んで長くなるというのは別によくあること。幼稚園に子供を送って行ったのは好いが親同士の会話が弾み、子供が帰ってくる時間になっても同じ場所で話し込んでたなんていう笑い話もある。
話の途中で帰宅したものなら他の主婦らからどんな悪口を言われるか分からないから、つい長居をしてしまうなんていうのも女性ならではの性だろう。「女性っていうのは競争意識が強い」という森の発言には一理あると思う。
女性というのは融通が利かない。この発言で注目するのは、冒頭の「女性理事を選ぶというのは、日本は文科省が五月蠅く言うんですよね」との発言だ。
この発言こそが「男女雇用均等法」や「男女共同参画社会」への疑義と捉えられ、これらの企画を謀った左翼勢力の逆鱗に触れたことで左翼マスコミが国民世論を煽り、ネット民やインチキ人権派が尤もらしく批判しているだけのこと。
「男女共同参画社会」は「共産(共参)社会の実現」が目的。これらの企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家や、ジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものである。
「男女雇用均等法」も同じ様なもの。男女雇用均等法は、女性の地位向上を謳って改正されているが、能力主義や実力主義ではなく、管理職や理事などの特別職の男女の比率を均等にしようというのは日本社会にそぐわない規則だ。
森が文科省からの「女性理事」選定の要請に疑義を呈したのも、男女という性差ではなく「能力主義」にすべきだとの意識が強かったのではあるまいか。
国體破壊に繋がる愚策が、保守政党を自任している自民党政権下で疑いも無く導入し、今では男女共同参画担当大臣までいるという御粗末さは厭きれるばかり。
こうした愚策を続けることは国體護持の上からも問題が有り過ぎる。男女共同参画社会や男女雇用均等法は「国連女子差別撤廃委員会」の提言が元凶である。
女性差別や女性蔑視を理由に「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関して皇室典範の改正を強要したことは記憶に新しい。
126代続く天皇の歴史の中で8代10人の女性天皇が存在してるが、我が国の皇位継承を男系男子に限られていることの何処が女性差別なのか。国の伝統に口出しするのは如何なものか。ならば、ローマ教皇(法王)の歴史はどうなのか。
歴代ローマ法王に女性はいないし、ローマ法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。「女性差別撤廃」というならバチカンにも抗議したら如何か。
日頃「レディーファースト」と自慢してる国でも伝統というのはそういうもので、我が国の皇統まで口出しするなら、ローマ法王の選出方法や枢機卿にも抗議すべきだと思うが、抗議したとしたところでけんもほろろに拒否されるだろう。
伝統を守るというのはそういうことでもある。抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。我が国こそがレディーファーストを身を以て実践している。
女房(かみさん)とは「神さん」であり、女房を「山の神」とも言って崇めてもいる。女性の神に仕えるのは、やはり女より男の方が好ましい(笑)
そういやその昔、森政権が誕生して間もなく「日本は天皇を中心とした神の国」と発言したことでバッシングを受けて首相を辞めさせられたのは記憶に新しい。
米国の教科書でも「日本はアマテラスの神の国」と教えているのに、日本の総理大臣が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言し批判され辞任とは摩訶不思議な出来事だった。そういう意味では、森というのは批判され易いのだろう(笑)
相手が謝罪したらそれを諒とするのが日本人の美徳だが、謝罪しても赦さないというのは日本人の美意識の欠落甚だしい現象でもある。大病を患いながらも頑張っている老人の失言を論い、正義面してバッシングしてさぞや満足に違いない。
森の女性への揶揄に噛付いて大騒ぎしながら中共のウイグルへの人権蹂躙には口を噤む不思議。中共が自国に有利な法案を制定し尖閣列島や周辺諸国への恫喝と併呑を謀っていることに危機感を持つべきだし、チョッとは滅私奉公しなさいな。
昨今、国家観を持たないインチキ保守政治家が席巻してる中で、森喜朗というのは人情味に溢れた自民党政治を代表する様な政治家はいないのではなかろうか。それ故に、左翼マスコミやアホ野党から忌み嫌われてしまうのだろう。
森喜朗はその昔、愚生が所属していた防共挺身隊にとある一件で石川県の自宅に押しかけられ抗議されたことがある。さぞや恨んでると思いきや、都内で流し街宣をしていると宣伝車の前に突然、黒塗りのセンチュリーが停まった。
「いや~防挺さん」と出て来たのは、当時自民党の幹事長だった森喜朗だった。言論の自由を振り翳すマスコミが言論の自由を奪う不条理。ガンバレ、森(笑)
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
「井戸端会議」という言葉がある。井戸の側で女性が水汲みや洗濯をしながら世間話をすること。暇を見つけて集まってする他愛のない御喋りのこと。
女性というのは多く集まると余計な話に及んで長くなるというのは別によくあること。幼稚園に子供を送って行ったのは好いが親同士の会話が弾み、子供が帰ってくる時間になっても同じ場所で話し込んでたなんていう笑い話もある。
話の途中で帰宅したものなら他の主婦らからどんな悪口を言われるか分からないから、つい長居をしてしまうなんていうのも女性ならではの性だろう。「女性っていうのは競争意識が強い」という森の発言には一理あると思う。
女性というのは融通が利かない。この発言で注目するのは、冒頭の「女性理事を選ぶというのは、日本は文科省が五月蠅く言うんですよね」との発言だ。
この発言こそが「男女雇用均等法」や「男女共同参画社会」への疑義と捉えられ、これらの企画を謀った左翼勢力の逆鱗に触れたことで左翼マスコミが国民世論を煽り、ネット民やインチキ人権派が尤もらしく批判しているだけのこと。
「男女共同参画社会」は「共産(共参)社会の実現」が目的。これらの企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家や、ジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものである。
「男女雇用均等法」も同じ様なもの。男女雇用均等法は、女性の地位向上を謳って改正されているが、能力主義や実力主義ではなく、管理職や理事などの特別職の男女の比率を均等にしようというのは日本社会にそぐわない規則だ。
森が文科省からの「女性理事」選定の要請に疑義を呈したのも、男女という性差ではなく「能力主義」にすべきだとの意識が強かったのではあるまいか。
国體破壊に繋がる愚策が、保守政党を自任している自民党政権下で疑いも無く導入し、今では男女共同参画担当大臣までいるという御粗末さは厭きれるばかり。
こうした愚策を続けることは国體護持の上からも問題が有り過ぎる。男女共同参画社会や男女雇用均等法は「国連女子差別撤廃委員会」の提言が元凶である。
女性差別や女性蔑視を理由に「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関して皇室典範の改正を強要したことは記憶に新しい。
126代続く天皇の歴史の中で8代10人の女性天皇が存在してるが、我が国の皇位継承を男系男子に限られていることの何処が女性差別なのか。国の伝統に口出しするのは如何なものか。ならば、ローマ教皇(法王)の歴史はどうなのか。
歴代ローマ法王に女性はいないし、ローマ法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。「女性差別撤廃」というならバチカンにも抗議したら如何か。
日頃「レディーファースト」と自慢してる国でも伝統というのはそういうもので、我が国の皇統まで口出しするなら、ローマ法王の選出方法や枢機卿にも抗議すべきだと思うが、抗議したとしたところでけんもほろろに拒否されるだろう。
伝統を守るというのはそういうことでもある。抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。我が国こそがレディーファーストを身を以て実践している。
女房(かみさん)とは「神さん」であり、女房を「山の神」とも言って崇めてもいる。女性の神に仕えるのは、やはり女より男の方が好ましい(笑)
そういやその昔、森政権が誕生して間もなく「日本は天皇を中心とした神の国」と発言したことでバッシングを受けて首相を辞めさせられたのは記憶に新しい。
米国の教科書でも「日本はアマテラスの神の国」と教えているのに、日本の総理大臣が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言し批判され辞任とは摩訶不思議な出来事だった。そういう意味では、森というのは批判され易いのだろう(笑)
相手が謝罪したらそれを諒とするのが日本人の美徳だが、謝罪しても赦さないというのは日本人の美意識の欠落甚だしい現象でもある。大病を患いながらも頑張っている老人の失言を論い、正義面してバッシングしてさぞや満足に違いない。
森の女性への揶揄に噛付いて大騒ぎしながら中共のウイグルへの人権蹂躙には口を噤む不思議。中共が自国に有利な法案を制定し尖閣列島や周辺諸国への恫喝と併呑を謀っていることに危機感を持つべきだし、チョッとは滅私奉公しなさいな。
昨今、国家観を持たないインチキ保守政治家が席巻してる中で、森喜朗というのは人情味に溢れた自民党政治を代表する様な政治家はいないのではなかろうか。それ故に、左翼マスコミやアホ野党から忌み嫌われてしまうのだろう。
森喜朗はその昔、愚生が所属していた防共挺身隊にとある一件で石川県の自宅に押しかけられ抗議されたことがある。さぞや恨んでると思いきや、都内で流し街宣をしていると宣伝車の前に突然、黒塗りのセンチュリーが停まった。
「いや~防挺さん」と出て来たのは、当時自民党の幹事長だった森喜朗だった。言論の自由を振り翳すマスコミが言論の自由を奪う不条理。ガンバレ、森(笑)
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
cordial8317 at 08:44│Comments(0)
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。