2022年12月06日
厚労省が定める「体罰の定義」を学校教育に当て嵌めるな!
静岡県裾野市の私立保育園の元保育士の幼児虐待に関して、田母神俊雄元航空幕僚長が「本当に問題にするほどのことなのか」と疑問を呈し、「子供は逆さにしたりすると喜ぶことがある」などと、暴行容疑で逮捕された三人を擁護した。
「体罰」と「虐待」は全く違う。「それでも、体罰は必要だ!」 との戸塚宏との共書があるが、愛情の無い体罰は暴力であり、保育士の行為は虐待そのもの。保育園や幼稚園には体罰は要らない。日本の大事な子供に愛情を注ぐことこそ大事。
戸塚宏が言う様に「体罰は理性を育てる」という一面があるが、1歳児を逆さに吊し上げたりカッターナイフをちらつかせる行為に躾けるという愛情があるとは思えない。俯瞰した物の見方をしてるつもりだろうが、田母神閣下の劣化著しい。
その昔、田中角栄は幼少時の教育の大切さを説いた。人間性を決めるのは「三つ子の魂百まで」と言う様に生まれて3歳までの親の愛情であり、乳幼児を扱う保育園の先生方も愛情こそ注ぐべきで、分別も分からない1歳の子供の虐待は赦されない。
幼稚園から小学校低学年も同じく、無償の愛を与えるべきで、角栄は小学校教諭の給与は高くするべきと言ったが蓋し正論だろう。幼稚園の先生も同様に公的機関が保証するべきだと思うが、私学助成金や補助金利権に群がる輩がいるのも確か。少子化問題と並行して幼児教育や小学校での教育の在り方が求められる。
体罰教育のエキスパートと言えば「戸塚ヨットスクール」だろう。「スパルタ式」で子供を死にやったことばかりが取り上げられるが、不登校や家庭内暴力で苦しんだ親が子供を手放し、実に600人以上の子供を更正させた実績は凄いと言う他ない。
戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定」(知・情・意)した理性を創ることが肝要だと教えている。
戦後教育の過程で、学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後に我が国が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだというが正論だろう。
我が国を経済大国にしたのは戦前教育を受けた人々であり、戦後教育である「欧米流」の教育に抜け落ちているのは「本能論」で、人間の優劣性を強調する余り、動物に存在する「本能」というものを下等なものとして否定しまったのだ。
仏教でも儒教でも、「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いているし、これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であり、徳育は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することが根本的な教えである。
厚労省は、令和2年4月に施行された児童虐待防止法の体罰禁止規定に関し、具体的に「注意をしたが言うことを聞かないので頬をたたく」「宿題をしなかったので夕飯を与えない」「悪戯をしたので長時間正座させる」などの事例を示している。
親権者や内縁の夫、幼稚園や保育所などでも虐待が後を絶たない。虐待する大人というのは甘やかされて育ったりと精神的に幼稚なのが多い。こんな精神が歪んでる大人を、役人と有識者が決める体罰定義で虐待を無くそうなどは嗤うしかない。
学校での先生に因る体罰が問題にされる度にこれと同じ様なことが議論されて来たが、文科省や教育委員会が解決させた験しはない。家庭での虐待にしても同じで、厚労省が登場しても余計ややこしくなるし、まともな親にとっては迷惑な話だ。
戦後、我が国ではGHQが謀った教育もあり、子供を褒めなければダメ、叱ったり殴ったりすることはケシカラン、体罰はダメという考えが支配的になった。
「褒める教育」というものは、日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」などと謳ったところから始まったもので、非行を繰り返す不良生徒やその親を批判せず、その生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、現場から排除されてきた。
「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けるが、「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「体罰」とは子供に善悪を躾けることが目的であって「暴力」とは言わない。「暴力」とは私的感情が伴う行為をいうのだ。
言って分かるなら苦労はしないが、言っても分からない子供は一定数いるのは確か。善悪を躾ける「体罰」という「愛」が、子供の理性や本能を正しく鍛えるということを親や教師、教育委員会、役人、何より政治家は知るべきだ。
昨今、学校や家庭、地域全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、その子供らもまた厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しく、痛みも知らなければ、チョットしたことで挫折してしまうのが多い。
「体罰」の意味も知らず、本物の愛情に触れることなく軟弱に育てられた子供達こそが現代社会の犠牲者であり、そんな環境で育った大人もまた然り。
「愛のムチ(体罰)」と暴力は紙一重。ビンタなどの体罰には親として子供を思いやる気持ちがあり、子供もまた親を敬う気持ちが無くてはならない。
子供もどんな子でも日本の宝なのです。我が国が抱える問題を解決するには、幼少期の親の愛情が不可欠であり、保育所や幼稚園や小学校低学年の段階で正しい人間性の基礎を創り上げ、地域や周りの人らが温かく見守り育んで行くことである。
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
「体罰」と「虐待」は全く違う。「それでも、体罰は必要だ!」 との戸塚宏との共書があるが、愛情の無い体罰は暴力であり、保育士の行為は虐待そのもの。保育園や幼稚園には体罰は要らない。日本の大事な子供に愛情を注ぐことこそ大事。
戸塚宏が言う様に「体罰は理性を育てる」という一面があるが、1歳児を逆さに吊し上げたりカッターナイフをちらつかせる行為に躾けるという愛情があるとは思えない。俯瞰した物の見方をしてるつもりだろうが、田母神閣下の劣化著しい。
その昔、田中角栄は幼少時の教育の大切さを説いた。人間性を決めるのは「三つ子の魂百まで」と言う様に生まれて3歳までの親の愛情であり、乳幼児を扱う保育園の先生方も愛情こそ注ぐべきで、分別も分からない1歳の子供の虐待は赦されない。
幼稚園から小学校低学年も同じく、無償の愛を与えるべきで、角栄は小学校教諭の給与は高くするべきと言ったが蓋し正論だろう。幼稚園の先生も同様に公的機関が保証するべきだと思うが、私学助成金や補助金利権に群がる輩がいるのも確か。少子化問題と並行して幼児教育や小学校での教育の在り方が求められる。
体罰教育のエキスパートと言えば「戸塚ヨットスクール」だろう。「スパルタ式」で子供を死にやったことばかりが取り上げられるが、不登校や家庭内暴力で苦しんだ親が子供を手放し、実に600人以上の子供を更正させた実績は凄いと言う他ない。
戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定」(知・情・意)した理性を創ることが肝要だと教えている。
戦後教育の過程で、学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後に我が国が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだというが正論だろう。
我が国を経済大国にしたのは戦前教育を受けた人々であり、戦後教育である「欧米流」の教育に抜け落ちているのは「本能論」で、人間の優劣性を強調する余り、動物に存在する「本能」というものを下等なものとして否定しまったのだ。
仏教でも儒教でも、「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いているし、これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であり、徳育は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することが根本的な教えである。
厚労省は、令和2年4月に施行された児童虐待防止法の体罰禁止規定に関し、具体的に「注意をしたが言うことを聞かないので頬をたたく」「宿題をしなかったので夕飯を与えない」「悪戯をしたので長時間正座させる」などの事例を示している。
親権者や内縁の夫、幼稚園や保育所などでも虐待が後を絶たない。虐待する大人というのは甘やかされて育ったりと精神的に幼稚なのが多い。こんな精神が歪んでる大人を、役人と有識者が決める体罰定義で虐待を無くそうなどは嗤うしかない。
学校での先生に因る体罰が問題にされる度にこれと同じ様なことが議論されて来たが、文科省や教育委員会が解決させた験しはない。家庭での虐待にしても同じで、厚労省が登場しても余計ややこしくなるし、まともな親にとっては迷惑な話だ。
戦後、我が国ではGHQが謀った教育もあり、子供を褒めなければダメ、叱ったり殴ったりすることはケシカラン、体罰はダメという考えが支配的になった。
「褒める教育」というものは、日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」などと謳ったところから始まったもので、非行を繰り返す不良生徒やその親を批判せず、その生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、現場から排除されてきた。
「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けるが、「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「体罰」とは子供に善悪を躾けることが目的であって「暴力」とは言わない。「暴力」とは私的感情が伴う行為をいうのだ。
言って分かるなら苦労はしないが、言っても分からない子供は一定数いるのは確か。善悪を躾ける「体罰」という「愛」が、子供の理性や本能を正しく鍛えるということを親や教師、教育委員会、役人、何より政治家は知るべきだ。
昨今、学校や家庭、地域全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、その子供らもまた厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しく、痛みも知らなければ、チョットしたことで挫折してしまうのが多い。
「体罰」の意味も知らず、本物の愛情に触れることなく軟弱に育てられた子供達こそが現代社会の犠牲者であり、そんな環境で育った大人もまた然り。
「愛のムチ(体罰)」と暴力は紙一重。ビンタなどの体罰には親として子供を思いやる気持ちがあり、子供もまた親を敬う気持ちが無くてはならない。
子供もどんな子でも日本の宝なのです。我が国が抱える問題を解決するには、幼少期の親の愛情が不可欠であり、保育所や幼稚園や小学校低学年の段階で正しい人間性の基礎を創り上げ、地域や周りの人らが温かく見守り育んで行くことである。
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cordial8317 at 10:14│Comments(0)
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