「君国に忠」「親に孝」なるは最も現実なる道徳である畏くも陛下の一年は元旦未明に斎行される「四方拝」で始まる

2020年01月02日

カルロス・ゴーンを見るまでもなく経済人に社稷を想う心なし

 年末にカルロス・ゴーンがレバノンへ逃亡とのニュースが飛び込んで来た。大量リストラして浮いた金を懐に仕舞い、海外などで贅沢な生活をしながら報酬約50億円を過少申告し、金融取引法違反容疑で逮捕されたがめついオッサン。

 やはり、生まれ持った金銭欲や腐った性格は救いようがないということか。ゴーンは逃亡した理由を「自身の責任から逃げようとしているのではなく、不公正な日本の制度から逃れようとしてるのだ」と詭弁を弄した。

「有罪が予想される日本の差別された司法制度の下での囚われの身ではなくなった」と主張してるが、「差別された司法制度」というのは具体的に何を指すのか。恰も日本が差別国家であるとの主張には違和感を覚える。

 抑々、金融取締法違反容疑を全面否認していた被告を保釈した理由は何だったのか。要は、犯罪を人権問題化したゴーン側の作戦勝ち。

 再収監となれば無罪放免は不可能ということを察したゴーンの必死の逃亡劇ということか。諸国民の公正と信義を重んじた裁判所の失態は免れない。

「資本主義」とは簡単に言えば「カネ主義」ということ。資本(カネ)を、人間の欲と努力で殖やしつつ大きな資本として発展させるところに、事業としても、国家としても繁栄に繋がるという目的を持つことが資本主義の使命でもある。

 だが、現在の資本家、事業家にそうした国家(社稷)を想う心は皆無と言える。カルロス・ゴーンなどはその象徴だろう。自分の利益になれさえすれば良いというのは吝嗇家の考えであり、資本主義の最たる弊害と言える。

 経済界を見れば社稷どころか営利至上主義が蔓延している。我が国の景気低迷の一因は、現代経済人の心の乏しさに起因していると言っても過言ではない。

 江戸時代、商人は「士農工商」の最下位に置かれ、「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。だからこそ商人は襟を正し、藩や民衆の為に尽くした。

 江戸時代の思想家である石田梅岩は、そんな商人の役割について「余ったものを足りない所に送り、社会全体を過不足なくすることだ」と教え、商人の倹約の重要性と、倹約によって生まれる公共的な経済効果を打ち出した。

 現代資本主義ではなく、梅岩が唱えた経済理論が日本の採るべき資本主義である。それが会社にはリストラや倹約を強要させて、その上前を撥ね自分で贅沢三昧というのでは経済人の資格どころか、人としても尊敬されることはない。

 青年日本の歌に「財閥富を誇れども社稷を想う心なし」との一節がある。昭和時代よりもその営利主義は露わになっているが、正しく、景気の低迷は社稷を重んじる経済人(商人)を育むことこそ日本再建の鍵となろう。

 そんな中で、右翼の使命とは一体何か。それは日本の純粋性を曇らすもの、つまり「共産主義」だろうが、「資本主義」や「民主主義」であろうが、日本という国柄や国體を損ねる主義・思想に断固として対峙して行くことである。

 戦前の右翼は、国家主義や民族主義という「ナショナリズム」や、反体制という「反骨主義(精神)」や、反資本主義という「国粋主義」を自覚しそれらを保持していた。何故ならこの三つは右翼の矜持に他ならないからだ。

 だが、悲しい哉、今やそれらは右翼陣営ではなく、左翼陣営がかろうじて保持している。今こそ、右翼としての矜持を取り戻さなければならないが、現在の右翼や自称・愛国者に諭したところで心に響くことはないだろう。

 保守派や愛国者を気取って、日本を貶め続ける共産党や左翼らを批判するのは容易いが、批判する側もまた自らが自由主義や民主主義、資本主義という米国の価値観でもある現代の病魔に侵されている自覚はない。

 天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を有するものは正統保守派や民族陣営である。ならば、右翼民族陣営は何を為すべきなのか。

「大義」を取戻しテロを担保しつつ、更なる愛国的活動の奮励に邁進する以外に道は無い。右翼陣営の捲土重来が日本再生に繋がることと信じて止まない。

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cordial8317 at 05:05│Comments(0)

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