憲法九条より第一章「天皇」の条項こそ見直さなければならないカルロス・ゴーンを見るまでもなく経済人に社稷を想う心なし

2020年01月01日

「君国に忠」「親に孝」なるは最も現実なる道徳である

 令和2年、皇紀2680年の年頭に当り、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、御支援頂いている皆々様方の御隆昌と御健康を祈念申し上げます。

 愚生の好きな哲学者・西晋一郎は「わが民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」と訓える。

 心ある日本国民ならば祖国日本を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。それは一体何か、何であらねばならないのか。これを一言にして表現するならば、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 皇祖天照大御神が「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治せ、行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」と垂示し給う御神勅を心魂に刻んで奉拝するのは日本人の務め。

 明治二十二年二月十一日の紀元節の折、明治天皇は大日本帝国憲法施行の際に下し給える憲法発布勅語の中で、こう思召し遊ばされた。

「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」

 この御神勅こそが正に天孫降臨の御神勅の精神の継承である。

 欽定憲法に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在る様に我が国は「天皇国日本」であり、これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則であることを知るべきなのだ。

 後醍醐天皇に仕えた北畠親房卿は「皇統正統記」の冒頭、「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひ なし。此故に神國と云ふ也。神明の皇統を傳へ給へる國也」と訓えた。

 これもまた天照大御神の御神勅と同じく日本国民が矜持すべき信念であり、日本人としての信仰であらねばならないと断言して憚らない。

 この日本民族の精神と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝えるところの責任と使命を有する者は、今を生きる我ら日本人であることは言うを待たないところであろう。

 然るに、この万邦無比の国體、尊厳崇高なる祖国日本の歴史と道統に目を覆い、西洋物質文明に被れ、或いは共産主義反逆思想に随喜して、日本人の本質を自ら喪失し、無機質な人種が増殖する傾向は由々しき一大事と言わざるを得ない。

 本居宣長は自著「うひ山ふみ」の中で、「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」と教示している。

「からぶみ」とは、今風に言えば「洋風かぶれ」ということだが、多くの国民も悲しい哉、「やまと魂だによく堅固まりて」どころではなく、民主主義に溺れ、欧米の価値観を盲信し、まやかしの平和を謳歌している。

 未だ米国の占領政策の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが逐次掘削されてしまった。

 政治家は「国防」や「教育」といった国家の大本を忘却し、経済至上主義の悪影響から国民は堕落し、国家は米国の傀儡の様相を呈している。

 この迫り来る祖国日本の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら日本人であり、右翼で在らなばならない。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。さあ、それに備え遺憾無きを期そうではないか。

 念頭に当り、右翼浪人として、そして一維新者として、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、本年も何卒御付き合いの程宜しく御願い申し上げます。すめらぎいやさか。

 皇紀2680年 令和2年 歳旦 佐久間五郎拝

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cordial8317 at 07:07│Comments(0)

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