2023年12月20日
偉人が「戒語」を遺したが戒語とは己の経験に基く自戒である
「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」という教えがある。人の集まる所では決して口にしてはならないものを並べたもので、茶道の教えの一つである。千利休の高弟・山上宗二が茶会の席で豊臣秀吉に向かって説いたと言われている。
山上宗二の「一期に一度の会と思って亭主を畏敬すべし」とは「一期一会」の語源ともなった一文である。茶席で先の戦話を自慢する秀吉に「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」と繰り返す。これが徒で秀吉の逆鱗に触れ殺されたも言われている。
戒めというものは失敗も成功も経験者であればある程、その言葉は相手の心に響くものだ。戒めを説く偉人は多いのは経験の豊かさでもある。人との付き合いの中での「戒め」を分かり易く教えた、大愚良寛の「良寛戒語(九十戒)」もその一つ。
「言葉の多き」「話の長き」「負け惜しみ」「返らぬことを幾度も言う」「客の前に人を叱る」「人の恥かくことを言う」「人を嫉むことを言う」「おれがこうした」「手柄話」「人を敬いすぎる」「言うこと言わぬ」「あゝ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる」「たやすく約束する」「言い足らぬことは又つぎても言うべし」「言うたことは再び返らず」「ことばの過ぐるは愛想なし」・・・
どうだろう、各各感ずるものがあるだろう。愚生には耳が痛い言葉ばかり。嫁には「ゲラゲラ笑い、ふくれ面、無駄口など固く止めなさい」と戒める。
良寛というと「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」との訓えが有名だろう。
「地震は信まことに大変に候そうろう。野僧(※良寛のこと)草庵何事もなく候。親類中、死人もなくめでたく存じ候。うちつけに死なば死なずて存ながらへて、かかる憂き目を見るがわびしさ、しかし災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」ー良寛
文政11年(1828年)、越後の国(新潟県)で大きな地震に襲われる。死者1559人、負傷者2666人、家屋の全壊、焼失を含め20000軒を超える大災害であった。
災難に遭ってしまうことは誰でもあること。それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ないし、災難に慌てふためいたりしてしまうと、過った対処をして災難を大きくしてしまうという戒めである。
小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断が出来ないということが多い。起こってしまった不幸には「人生にはこういう時もある」と受け容れることも大事なことだ。
良寛は70歳にして若くて美しい貞心尼と巡り逢い純真な恋をした。その貞心尼に看取られ乍らこの世を去った。愚生から見ても実に幸せの絶頂での死にも思える。そんな良寛和尚の辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。諸行無常やるせない。
「戒語」というのは経験に基く自戒でもある。例えば、少年の頃には手の付けられない不良だったという水戸光圀公は、18歳の時に司馬遷の「史記」を読み、学問と修養に励む出す。史記に負けない歴史書を作ろうと志を立てたという。
光圀公の教えの一つに、「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。酒を飲まない人や、欲の無い人が、こういうことは記さない。あの天下の副将軍でもある黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗を経験したのだろう。
宮本武蔵の「独行道」に「如何なる別れも悲しまじ」という教えがある。この教えを掘り下げれば、冷血ならばこんなことは書かない。武蔵というのは人一倍涙脆く、人情深い故に感情を表に現さない厳しい修行を積んだのだろうと覚る。
まぁ、己を戒めるのも好いことだが、余り気にし過ぎると人間、こじんまりしてしまいますし、自動車のハンドルでも遊びが無いと直ぐに事故りますよ。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
山上宗二の「一期に一度の会と思って亭主を畏敬すべし」とは「一期一会」の語源ともなった一文である。茶席で先の戦話を自慢する秀吉に「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」と繰り返す。これが徒で秀吉の逆鱗に触れ殺されたも言われている。
戒めというものは失敗も成功も経験者であればある程、その言葉は相手の心に響くものだ。戒めを説く偉人は多いのは経験の豊かさでもある。人との付き合いの中での「戒め」を分かり易く教えた、大愚良寛の「良寛戒語(九十戒)」もその一つ。
「言葉の多き」「話の長き」「負け惜しみ」「返らぬことを幾度も言う」「客の前に人を叱る」「人の恥かくことを言う」「人を嫉むことを言う」「おれがこうした」「手柄話」「人を敬いすぎる」「言うこと言わぬ」「あゝ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる」「たやすく約束する」「言い足らぬことは又つぎても言うべし」「言うたことは再び返らず」「ことばの過ぐるは愛想なし」・・・
どうだろう、各各感ずるものがあるだろう。愚生には耳が痛い言葉ばかり。嫁には「ゲラゲラ笑い、ふくれ面、無駄口など固く止めなさい」と戒める。
良寛というと「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」との訓えが有名だろう。
「地震は信まことに大変に候そうろう。野僧(※良寛のこと)草庵何事もなく候。親類中、死人もなくめでたく存じ候。うちつけに死なば死なずて存ながらへて、かかる憂き目を見るがわびしさ、しかし災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」ー良寛
文政11年(1828年)、越後の国(新潟県)で大きな地震に襲われる。死者1559人、負傷者2666人、家屋の全壊、焼失を含め20000軒を超える大災害であった。
災難に遭ってしまうことは誰でもあること。それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ないし、災難に慌てふためいたりしてしまうと、過った対処をして災難を大きくしてしまうという戒めである。
小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断が出来ないということが多い。起こってしまった不幸には「人生にはこういう時もある」と受け容れることも大事なことだ。
良寛は70歳にして若くて美しい貞心尼と巡り逢い純真な恋をした。その貞心尼に看取られ乍らこの世を去った。愚生から見ても実に幸せの絶頂での死にも思える。そんな良寛和尚の辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。諸行無常やるせない。
「戒語」というのは経験に基く自戒でもある。例えば、少年の頃には手の付けられない不良だったという水戸光圀公は、18歳の時に司馬遷の「史記」を読み、学問と修養に励む出す。史記に負けない歴史書を作ろうと志を立てたという。
光圀公の教えの一つに、「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。酒を飲まない人や、欲の無い人が、こういうことは記さない。あの天下の副将軍でもある黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗を経験したのだろう。
宮本武蔵の「独行道」に「如何なる別れも悲しまじ」という教えがある。この教えを掘り下げれば、冷血ならばこんなことは書かない。武蔵というのは人一倍涙脆く、人情深い故に感情を表に現さない厳しい修行を積んだのだろうと覚る。
まぁ、己を戒めるのも好いことだが、余り気にし過ぎると人間、こじんまりしてしまいますし、自動車のハンドルでも遊びが無いと直ぐに事故りますよ。呵呵
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cordial8317 at 07:11│Comments(0)
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