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2019年11月02日

琉球王国の象徴でもあり世界文化遺産の首里城が全焼

 琉球王国の象徴でもある首里城が全焼した。玉城デニー沖縄県知事は「必ず復元する」と語ってるが、国の管轄から県に移行させたのだから当たり前。政府や文化庁も支援するだろうが、国を都合好く利用するのは止めて貰いたいものだ。

 デニーは沖縄の将来像として「自治州的な一国二制度」がベストとの認識を示し「独特な歴史、文化、地理的特性を持つ沖縄だからこそ、一国二制度に移行すれば日本にとっても沖縄にとっても将来展望がより広がる」との考えの持ち主。

「政府から『これだけの財源と権限で沖縄の行政をしっかりやって下さい』と任される一国二制度です」というが、沖縄の歴史的な背景を利用して過分な財源を貰いながら国の政策には真っ向から反対。政府は沖縄の単なるATMではない。

 抑々「一国二制度」という言葉は、中国共産党が台湾問題に関して使われた言葉で、デニーのいう一国二制度とは、日本政府を利用し、中共と習近平の御機嫌を伺う、沖縄の伝統でもある「二股主義」が根源にあると感じる。

 沖縄の住民は、日本本土から南下した日本人とポリネシア系、台湾系、支那華南系で、「明」の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 琉球から日本へ使者が派遣されたのは室町時代になってからで、徳川時代に幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を採った。

 首里城は、戦前には沖縄神社としての正殿などが旧国宝に指定されていたが、戦後に再建された城を見ると漆で朱塗りされていたり、装飾に国王の象徴である龍が多用されていたりと琉球文化というより大陸文化の影響を強く感じる。

 二千円の図柄である「守礼の門」は、支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場だが、これをしても沖縄が日本と支那との両属だったかが解る。

 冊封使とは、中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節。付庸国とは属国。清国から冊封使の品位は、朝鮮に対しては正三品以上であったが、琉球に対しては正五品以下従七品以上で朝鮮より下位とされた。

 琉球は日本文化が拒絶した「宦官制度」を導入していたことでも支那の朝貢国だった一面を否定出来ない。また、日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じた。日清戦争で日本が勝利すると清国派は支那に逃避した。

 明治三十九年に沖縄の歴史・言語・民俗を研究し、沖縄で初めて文学士となった「沖縄学の父」といわれる伊波普猷(いはふゆう)の著書「古琉球」に拠れば、沖縄人にとっては沖縄で何人が君臨しても構わなかったという。

「明」や「清」の変わり目に当たっては「清帝」と「明帝」とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったとのことでも、琉球人の二股主義の心情が現れている。

 伊波普猷の指摘する沖縄人の意識がどう変わったのか判らないが、最近の沖縄を見ていると日清戦争前の「頑固党」と見間違うばかりの連中が「日本からの独立」と「中共への隷属」を本気で考えているとしか感じない。

 今や沖縄は左翼勢力の尋常じゃない行動が目に付くが、デニーの一国二制度も同じで、中共への朝貢国としての琉球国王に即位したいが為のものだろう(笑)

 普天間問題で殊の外日米感情を煽り、米軍を撤退させ、中共の謀略通りに「沖縄ビジョン」の遂行を謀る。米軍を追い出し、代わりに支那から移民を受け容れようなどとは言語道断だが、二股膏薬主義の沖縄人ならやりかねない。

 火事の出火場所は本殿の真ん中だったというが、何か不信感は否めない。首里城の全焼を受けて、デニーの本音は政府より中共からの支援。日本からの独立を約束し朝貢国を演じれば、習近平は喜んで莫大な援助してくれると思うよ。呵々。

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cordial8317 at 06:04│Comments(0)

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