2019年08月12日
我が国はアジアを侵略したのではなくアジアを侵略していた連合国と戦いに臨んだのだ
毎年、8月になると大東亜戦争終結に合わせて戦争の悲惨さを訴え、国民の安っぽい平和主義を煽る番組が多くなる。主張を見ると如何にも先の大戦が実に愚かで無謀な戦争であり、戦争を決断した当時の軍部と政府を批判して止まない。
先の大戦を、現代の価値観や倫理観で批判することに意味は無い。これもまた日本人へ贖罪意識を植え付ける為の米国に因る戦後民主教育の遺物であろう。
所謂「A級戦犯」として処刑された方は東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。所謂「B・C級戦犯」は1068名。凄惨なリンチに等しいもので亡くなった方など約100名いる。
「愚かな戦争」と断じることは容易だが、東京裁判の茶番劇で7名の戦争殉難者を始め、外国の地で不当な裁判に処せられ、言い訳もせずにその罪を償ってくれた1068名とリンチ等で亡くなられた方々の命は決して軽いものではない。
今に生きる我々は、未だに「戦犯」との汚名を着せられながらも、その不当な判決をも諒として受け容れ、「我が身が犠牲になることで救われるなら」と一身にその罪を償ってくれたという事実を忘れてしまっているのではなかろうか。
大東亜戦争を「侵略戦争」であるとか「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り、戦争の原因を天皇や軍部、そしてA級戦犯であるなどと喧伝しているのは無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからに他ならない。
戦争犯罪人は「大日本帝国憲法」でもなく「天皇」や「統帥権」でもなく、況して「軍部」でもなければ「軍国主義」でもない。
真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美やそのブレーン達(右翼の重鎮と言われる四元義隆もその一人)であり、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者ら。
共産主義やマルクス・レーニン主義、毛沢東思想という当時の流行り病が、昭和の悲劇を生んだ元凶であるということは今や歴史的事実である。
大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして我が国に巣食ってたの共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者らの策謀にまんまと嵌ってしまった戦争だったと言えるのだ。
大東亜戦争自体、決して恥ずべきものでもない。我が国はアジアの星だったのは紛れもない事実である。その視点に立った時に果たして我々は何を成すべきか。
未だ先の大戦を「侵略戦争」と罵るが、我が国はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた米英を始めとした連合国と戦いに臨んだのだ。
それでも我が国が「アジアの人々に謝罪し償う必要がある」というなら、その最大の過ちは、戦後、アジアに共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いは中国共産党や国内外の共産主義を失くす以外にはない。
歴史に「もし」はない。だが、もし日米が戦わず蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。
もしそうなっていれば、中国共産党の大躍進や文化大革命、天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。
もう直ぐ8月15日を迎えるが、果たして歴代政府や政治家が公正且つ公平な目で大東亜戦争に至る歴史を検証したことがあるだろうか。
我が国の政治家は安倍首相を筆頭に「歴史は歴史家に任せる」という。だが、歴史の問題は一国の存亡に係わる大事であり、歴史家も夫々でその歴史家が偏狭で不適格であれば国家の存続も危ぶまれるということを理解してるのか。
戦後、近代史、特に大東亜戦争に至る経緯とその後の検証を怠ったのは、経済復興や景気対策と社会保障といった目先のことばかりが優先され、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けていたのが大きな要因である。
如何なる国家も国民も、その国家の為に殉じた人々に対して敬意を払う権利と義務があるのは言うまでもない。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し、感謝の誠を捧げることは当然のこと。
悲しい哉、靖國神社の在り様を思う時、我が国の政治家らが国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿はとても醜く情けない。政治家のこうした姿が、どれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家どもは省みたこともあるまい。
愛国心の欠落とその結果としての国防意識の低下。高邁な精神は欠落し、日本国民としての誇りや自信の喪失。子殺しや親殺しなどの自己本位の犯罪等々、我が国の社会に蔓延する諸問題の全てはそこに起因していると言っても過言ではない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
先の大戦を、現代の価値観や倫理観で批判することに意味は無い。これもまた日本人へ贖罪意識を植え付ける為の米国に因る戦後民主教育の遺物であろう。
所謂「A級戦犯」として処刑された方は東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。所謂「B・C級戦犯」は1068名。凄惨なリンチに等しいもので亡くなった方など約100名いる。
「愚かな戦争」と断じることは容易だが、東京裁判の茶番劇で7名の戦争殉難者を始め、外国の地で不当な裁判に処せられ、言い訳もせずにその罪を償ってくれた1068名とリンチ等で亡くなられた方々の命は決して軽いものではない。
今に生きる我々は、未だに「戦犯」との汚名を着せられながらも、その不当な判決をも諒として受け容れ、「我が身が犠牲になることで救われるなら」と一身にその罪を償ってくれたという事実を忘れてしまっているのではなかろうか。
大東亜戦争を「侵略戦争」であるとか「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り、戦争の原因を天皇や軍部、そしてA級戦犯であるなどと喧伝しているのは無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからに他ならない。
戦争犯罪人は「大日本帝国憲法」でもなく「天皇」や「統帥権」でもなく、況して「軍部」でもなければ「軍国主義」でもない。
真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美やそのブレーン達(右翼の重鎮と言われる四元義隆もその一人)であり、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者ら。
共産主義やマルクス・レーニン主義、毛沢東思想という当時の流行り病が、昭和の悲劇を生んだ元凶であるということは今や歴史的事実である。
大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして我が国に巣食ってたの共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者らの策謀にまんまと嵌ってしまった戦争だったと言えるのだ。
大東亜戦争自体、決して恥ずべきものでもない。我が国はアジアの星だったのは紛れもない事実である。その視点に立った時に果たして我々は何を成すべきか。
未だ先の大戦を「侵略戦争」と罵るが、我が国はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた米英を始めとした連合国と戦いに臨んだのだ。
それでも我が国が「アジアの人々に謝罪し償う必要がある」というなら、その最大の過ちは、戦後、アジアに共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いは中国共産党や国内外の共産主義を失くす以外にはない。
歴史に「もし」はない。だが、もし日米が戦わず蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。
もしそうなっていれば、中国共産党の大躍進や文化大革命、天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかったのだ。
もう直ぐ8月15日を迎えるが、果たして歴代政府や政治家が公正且つ公平な目で大東亜戦争に至る歴史を検証したことがあるだろうか。
我が国の政治家は安倍首相を筆頭に「歴史は歴史家に任せる」という。だが、歴史の問題は一国の存亡に係わる大事であり、歴史家も夫々でその歴史家が偏狭で不適格であれば国家の存続も危ぶまれるということを理解してるのか。
戦後、近代史、特に大東亜戦争に至る経緯とその後の検証を怠ったのは、経済復興や景気対策と社会保障といった目先のことばかりが優先され、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けていたのが大きな要因である。
如何なる国家も国民も、その国家の為に殉じた人々に対して敬意を払う権利と義務があるのは言うまでもない。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し、感謝の誠を捧げることは当然のこと。
悲しい哉、靖國神社の在り様を思う時、我が国の政治家らが国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿はとても醜く情けない。政治家のこうした姿が、どれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家どもは省みたこともあるまい。
愛国心の欠落とその結果としての国防意識の低下。高邁な精神は欠落し、日本国民としての誇りや自信の喪失。子殺しや親殺しなどの自己本位の犯罪等々、我が国の社会に蔓延する諸問題の全てはそこに起因していると言っても過言ではない。
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cordial8317 at 06:31│Comments(0)
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