2021年08月09日
悲憤慟哭「日本民族痛恨の日」である8月9日を決して忘れるな!
米国は、6日の広島に続き9日にも原爆投下を実行する。投下予定地は九州小倉だった。だが、小倉の天気が悪く長崎への変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。
天皇存続が明記されていないポツダム宣言受諾に難色を示す我が国に対して「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だったろうが、米国はどうしても二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があったのだ。
広島と長崎に落とした原爆は種類が違うもので、広島はウラン型で、長崎はプルトニウム型。所謂「マンハッタン計画」で莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその原爆の成果を証明する必要と義務があった。
原爆投下後、米軍が広島と長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」などの目に余る日本人への人権蹂躪行為は、正しく人体実験、否、動物実験としての原爆投下だったと言っても過言ではない。
エノラゲイから投下されるその経緯の一部始終撮影し、実験データを収集していることでもその人体実験のデータ収集が目的だったのは明らか。
日本を占領したGHQは、人体実験の為に原爆を投下した米国に対して、憎悪の感情を持たせない為に米国は日本人に戦後民主主義教育を徹底した。
更に、ハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる空っぽな日本人を仕立てることに成功した。「芸能王国ニッポン」が正にそうなのだ。
第二次世界大戦後、世界の帝国主義が崩壊し、敗戦した我が国は米国の51番目の州にならずに済んだ。米国が謀った日本人矯正は見事に成功を果たし、米国の価値観の下でまやかしの平和と繁栄を謳歌している。
親米保守の安倍を始め保守派の尊皇精神は乏しく、尊皇無き保守が国體や皇統を棄損し続ける。左翼勢力もまた米国製の憲法を有難がり、戦後民主主義教育が「反米」の論拠となっているという御粗末さにも気付かない(苦笑)
長崎に原爆が投下される8月9日未明、旧ソ連は日ソ不可侵中立条約を一方的に破棄しソ満国境を越え、南樺太に攻め入り鬼畜の如き所業を繰り返した。
この旧ソ連の蛮行に対し、マスコミや自称・平和団体らは抗議の声を上げたことすらない。「原水爆禁止世界大会」を主宰する「原水協」や「原水禁」らは米国の原爆投下は執拗に糾弾するが、旧ソ連の蛮行には拱手傍観を極め込む。
要は似非・平和団体であり「平和」を口にする資格もない。連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽って日米離間を謀り、党勢拡大に「平和」を利用し革命謀略に奔走しているに過ぎない。
旧ソ連の蛮行で亡くなった日本人同胞は、広島・長崎で亡くなった方々を遥かに超え、またシベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。
シベリアに抑留された日本人は我が国では約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多い。ロシアの資料に拠れば約70万人となっており、米国の資料では約90万人とも言われている。
悲しい哉、未だに我が国政府は、こうした旧ソ連=現ロシアの犯した問題を世界の国々に提起もせず、真相を明らかにしようともしないのは不思議でならない。
我が国固有の領土である北方領土はこうした経緯の下で強奪されたもので、旧ロシアの蛮行は国際法規違反であり人権蹂躙。現ロシアの北方領土の主権を「第二次大戦の結果」という言い分も国際法規のカイロ宣言違反である。
ソ連の残虐非道、鬼畜の行為は8月15日後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。 20日には、樺太真岡郵便局員の9名が職務を全うし、従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
南樺太でのソ連兵による鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に生々しく書かれている。その一部を摘記する。 8月15日の終戦とは名ばかり。
「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」
「ソ連進駐と共に市街の様は一変しソ連兵市内を横行し略奪を縦にして9月1日女32名を監禁し若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」
千島列島最北端の「占守島」では、同月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸。 終戦の詔勅が発布されたことにより武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。
この戦いは日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、無条件降伏を受け入れ8月21日に戦闘が終結。
日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。だが、この武装解除が徒となり、占守島の兵士のみならず中千島や南千島に駐留していた兵士と民間人までもがシベリアに強制連行されることとなった。抑留での悲劇は想像を絶する。
旧ソ連の鬼畜の蛮行と長崎への原爆投下、正に8月9日は悲憤慟哭民族痛恨の日であり、現代を生きる我々は決してこの日を忘れてはならない! 合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージはmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
天皇存続が明記されていないポツダム宣言受諾に難色を示す我が国に対して「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だったろうが、米国はどうしても二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があったのだ。
広島と長崎に落とした原爆は種類が違うもので、広島はウラン型で、長崎はプルトニウム型。所謂「マンハッタン計画」で莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその原爆の成果を証明する必要と義務があった。
原爆投下後、米軍が広島と長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」などの目に余る日本人への人権蹂躪行為は、正しく人体実験、否、動物実験としての原爆投下だったと言っても過言ではない。
エノラゲイから投下されるその経緯の一部始終撮影し、実験データを収集していることでもその人体実験のデータ収集が目的だったのは明らか。
日本を占領したGHQは、人体実験の為に原爆を投下した米国に対して、憎悪の感情を持たせない為に米国は日本人に戦後民主主義教育を徹底した。
更に、ハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる空っぽな日本人を仕立てることに成功した。「芸能王国ニッポン」が正にそうなのだ。
第二次世界大戦後、世界の帝国主義が崩壊し、敗戦した我が国は米国の51番目の州にならずに済んだ。米国が謀った日本人矯正は見事に成功を果たし、米国の価値観の下でまやかしの平和と繁栄を謳歌している。
親米保守の安倍を始め保守派の尊皇精神は乏しく、尊皇無き保守が国體や皇統を棄損し続ける。左翼勢力もまた米国製の憲法を有難がり、戦後民主主義教育が「反米」の論拠となっているという御粗末さにも気付かない(苦笑)
長崎に原爆が投下される8月9日未明、旧ソ連は日ソ不可侵中立条約を一方的に破棄しソ満国境を越え、南樺太に攻め入り鬼畜の如き所業を繰り返した。
この旧ソ連の蛮行に対し、マスコミや自称・平和団体らは抗議の声を上げたことすらない。「原水爆禁止世界大会」を主宰する「原水協」や「原水禁」らは米国の原爆投下は執拗に糾弾するが、旧ソ連の蛮行には拱手傍観を極め込む。
要は似非・平和団体であり「平和」を口にする資格もない。連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽って日米離間を謀り、党勢拡大に「平和」を利用し革命謀略に奔走しているに過ぎない。
旧ソ連の蛮行で亡くなった日本人同胞は、広島・長崎で亡くなった方々を遥かに超え、またシベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。
シベリアに抑留された日本人は我が国では約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多い。ロシアの資料に拠れば約70万人となっており、米国の資料では約90万人とも言われている。
悲しい哉、未だに我が国政府は、こうした旧ソ連=現ロシアの犯した問題を世界の国々に提起もせず、真相を明らかにしようともしないのは不思議でならない。
我が国固有の領土である北方領土はこうした経緯の下で強奪されたもので、旧ロシアの蛮行は国際法規違反であり人権蹂躙。現ロシアの北方領土の主権を「第二次大戦の結果」という言い分も国際法規のカイロ宣言違反である。
ソ連の残虐非道、鬼畜の行為は8月15日後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。 20日には、樺太真岡郵便局員の9名が職務を全うし、従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
南樺太でのソ連兵による鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に生々しく書かれている。その一部を摘記する。 8月15日の終戦とは名ばかり。
「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」
「ソ連進駐と共に市街の様は一変しソ連兵市内を横行し略奪を縦にして9月1日女32名を監禁し若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」
千島列島最北端の「占守島」では、同月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸。 終戦の詔勅が発布されたことにより武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。
この戦いは日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、無条件降伏を受け入れ8月21日に戦闘が終結。
日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。だが、この武装解除が徒となり、占守島の兵士のみならず中千島や南千島に駐留していた兵士と民間人までもがシベリアに強制連行されることとなった。抑留での悲劇は想像を絶する。
旧ソ連の鬼畜の蛮行と長崎への原爆投下、正に8月9日は悲憤慟哭民族痛恨の日であり、現代を生きる我々は決してこの日を忘れてはならない! 合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージはmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
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cordial8317 at 06:26│Comments(0)
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