2019年05月03日
何故に米国製の日本国憲法の施行を記念しなければならないのか
本日は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」だが、何故か現憲法を頂戴した有難い日となっている。「憲法記念日」との名称は「終戦記念日」と同じく、米国が謀った戦後民主主義教育に因る洗脳の最たるものである。
国の成長を期する日であれば、国の成長を阻害する元凶でもある現憲法を見直しは必至であり、名称も「新憲法の制定を祈念する日」こそが相応しいと思う。
改憲派に現憲法否定の理由を聞けば「米国から押し付けられた憲法だから」という声が少なくない。だが、米国から押し付けられたものは憲法だけではない。戦後民主主義や新自由主義、現皇室典範や労働三法も教育委員会も米国製である。
「押しつけ」がダメなら、ファッションや米国製の価値観も否定すべきであろう。何より、米国の御蔭である戦後の平和や繁栄に感謝しつつ、米国依存から脱却しなくてはダメだろう。我が国の重苦しい閉塞感や欠落している国家の大本を取り戻す上で、隘路(あいろ)を切り開くには米国製の現憲法を見直す以外には手は無い。
現憲法で得たものは成否は別として、「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」等であり、今日の日本の基を築いたと言っても好いだろう。
一方で、「礼節」「長幼の序」「忍耐」「我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」「孝養」「恥」等等、失ったものはそれ以上に多い。失ってしまったものが現憲法の所為かどうかは分からないが、日本人は利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無。この事実は敗戦後の占領政策以降であるのは明らか。
己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり、美徳美風というものなのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れ、目先の価値観が優先されて、目先の欲望に溺れてしまってそれに気付くこともない。
「米国の押し付け憲法」と言うのは容易い。現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条による改正に拠って施行されたのだ。昭和20年11月3日の公布式に於いて、昭和天皇は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と裁可なされた。
憲法制定当時、我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのは事実である。
現憲法が帝国憲法73条に拠る改正であるなら、安易な憲法改正は逆効果。旧帝国憲法の復元・改正こそ我が国の執るべき道である。安倍は、憲法第9条に自衛隊を明記しようとしているが、公明党と同じ「加憲」であり、目先の改憲で現憲法を絶対的なものにしようとしていることからも究極の護憲派であるというのが正しい。
安倍は自民党総裁として、自民党が掲げる新憲法の草案の是非を国民に問うべきだが、何故か第9条のみに拘る。安倍の改憲案は保守票欲しさの目晦ましである。
自民党憲法草案には第一条には、「天皇は日本国の元首である」と明記している。だが、現憲法と同じく、「日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としていることでも杜撰さが際立つ。
令和の御代となり、御祝いムードの中で、共産党が「即位の礼に国費を投じることは憲法違反」だとか、「我々は天皇制に反対している。つまり国民の総意ではなく天皇の存在は違憲である」といういつもの屁理屈を垂れ流している。現憲法第一条の「総意」こそが違憲の論拠を与えてしまっていることに刮目するべし。
第二条も然り。「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。つまりは、天皇の弟の秋篠宮殿下ではなく、愛子内親王殿下こそが憲法上の正統な継承者であるという妄言が罷り通る。
憲法以前の御存在である天皇を、憲法との整合性や配慮などと語ることがあってはならない。現憲法第一章の「天皇」の条項は削除し、旧皇室典範を復元して天皇に奉還すべきであり、皇統は現皇室典範や臣下である政権が関わるべき問題ではない。
5月3日は、現憲法を思い出として「記念」する日ではなく、新憲法の制定や大日本帝国憲法の復元・改正を心から「祈念」する日であらねばならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
国の成長を期する日であれば、国の成長を阻害する元凶でもある現憲法を見直しは必至であり、名称も「新憲法の制定を祈念する日」こそが相応しいと思う。
改憲派に現憲法否定の理由を聞けば「米国から押し付けられた憲法だから」という声が少なくない。だが、米国から押し付けられたものは憲法だけではない。戦後民主主義や新自由主義、現皇室典範や労働三法も教育委員会も米国製である。
「押しつけ」がダメなら、ファッションや米国製の価値観も否定すべきであろう。何より、米国の御蔭である戦後の平和や繁栄に感謝しつつ、米国依存から脱却しなくてはダメだろう。我が国の重苦しい閉塞感や欠落している国家の大本を取り戻す上で、隘路(あいろ)を切り開くには米国製の現憲法を見直す以外には手は無い。
現憲法で得たものは成否は別として、「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」等であり、今日の日本の基を築いたと言っても好いだろう。
一方で、「礼節」「長幼の序」「忍耐」「我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」「孝養」「恥」等等、失ったものはそれ以上に多い。失ってしまったものが現憲法の所為かどうかは分からないが、日本人は利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無。この事実は敗戦後の占領政策以降であるのは明らか。
己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり、美徳美風というものなのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れ、目先の価値観が優先されて、目先の欲望に溺れてしまってそれに気付くこともない。
「米国の押し付け憲法」と言うのは容易い。現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条による改正に拠って施行されたのだ。昭和20年11月3日の公布式に於いて、昭和天皇は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と裁可なされた。
憲法制定当時、我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのは事実である。
現憲法が帝国憲法73条に拠る改正であるなら、安易な憲法改正は逆効果。旧帝国憲法の復元・改正こそ我が国の執るべき道である。安倍は、憲法第9条に自衛隊を明記しようとしているが、公明党と同じ「加憲」であり、目先の改憲で現憲法を絶対的なものにしようとしていることからも究極の護憲派であるというのが正しい。
安倍は自民党総裁として、自民党が掲げる新憲法の草案の是非を国民に問うべきだが、何故か第9条のみに拘る。安倍の改憲案は保守票欲しさの目晦ましである。
自民党憲法草案には第一条には、「天皇は日本国の元首である」と明記している。だが、現憲法と同じく、「日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としていることでも杜撰さが際立つ。
令和の御代となり、御祝いムードの中で、共産党が「即位の礼に国費を投じることは憲法違反」だとか、「我々は天皇制に反対している。つまり国民の総意ではなく天皇の存在は違憲である」といういつもの屁理屈を垂れ流している。現憲法第一条の「総意」こそが違憲の論拠を与えてしまっていることに刮目するべし。
第二条も然り。「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。つまりは、天皇の弟の秋篠宮殿下ではなく、愛子内親王殿下こそが憲法上の正統な継承者であるという妄言が罷り通る。
憲法以前の御存在である天皇を、憲法との整合性や配慮などと語ることがあってはならない。現憲法第一章の「天皇」の条項は削除し、旧皇室典範を復元して天皇に奉還すべきであり、皇統は現皇室典範や臣下である政権が関わるべき問題ではない。
5月3日は、現憲法を思い出として「記念」する日ではなく、新憲法の制定や大日本帝国憲法の復元・改正を心から「祈念」する日であらねばならない。
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cordial8317 at 05:36│Comments(0)
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