天皇の大権である「元号」が国民の知る権利の中で軽々しく論じられている実践の伴わない道徳教育より、神道の「随神の道」を教えよ!

2019年03月27日

万歳三唱で厳重注意処分を受けた白鵬がまたやらかした(笑)

 大相撲春場所は横綱白鵬の全勝優勝で終わった。久しぶりに白鵬の全盛期を思わせる堂々とした取り口で、大関陣が好調な中での優勝は価値がある。

 ただ、頂けないのはインタービューで白鵬が三本締めを求めて観客がそれに応じる。以前、万歳三唱で厳重注意処分を受けていながらまたやらかした(笑)

 万歳や手締めは相撲の仕来りではないが、場違いも甚だしい。学習能力に欠けてるのかバカなのか。抑々、日馬富士の引退も貴ノ岩がああなったのも本を正せば白鵬が原因だし、本人だけが浮かれていることに違和感を覚える。

「三本締め」とは、全ての人に礼を尽くすという意味で使われる。三本締めは「三方礼」に由来する。1回目はその回の主催者、2回目は来賓や来客、3回目はその会自体や出席出来なかった人に向けたものだとも言われている。

 但し、来賓などに手締めを求めるのは失礼に当たる。来賓も手締めを求められたら断るのもまたマナーでもある。観客も平成最後の場所での全勝優勝を称える意味で応じたのだろうが、白鵬も三本締めの意味も分かっていないのは確かだ。

 大相撲は「断髪令」が出ても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し続けてきた保守の牙城ともいうべき存在でもあるが、最近の大相撲は横綱も軽々しくなり、単なるスポーツイベントに成り下がった感は拭えない。

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より、五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもあり、現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 本場所初日の前日には「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め「土俵入り」が行われる。使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 力士が「四股」を踏む。四股は地面に潜む邪悪なものを封じ込める為の所作であり、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りである。

「力水」や「力紙」は清めの作法である。清めを終えた力士は、「蹲踞」から「揉み手」「柏手」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と一連の動作が続く。

「塵手水」は、手に武器を持たないことを表すものだ。「揉み手」は、古来は雑草の露で手を清めていた所作の名残りで、「柏手」は神に拝する際に打つ動き。

 力士が勝ち名乗りを受ける際に「手刀」を斬る。これは左が「神産巣日神」、右が「高御産巣日神」、真ん中が「天御中主神」三神への感謝である。

 白鵬の懸賞金の受け取り方は、以前より好くはなったが毟り取る様な仕草は治らない。アレは間違いというより、三神への冒涜とも言えなくもない。要は、白鵬はスモウレスリングには強いが日本文化としての相撲道の精神に欠けている。

 力士というのは神様の遣いであり、横綱とはその中の最高峰の存在である。勝敗に拘る以前にその所作や風格が大事であるというのは言うまでもない。

 千秋楽の終了後、土俵では「神送りの儀式」が行われる。御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで相撲の神々は昇天し、そうして場所を終える。

 白鵬もつい調子に乗ってしまったのだろうが、手締めをするなら儀式終了後、或いは後援会だけでやれば好い。優勝回数が増えて軽々しさも増している(笑)

 大相撲も他の競技と同じ様に勝敗ばかりが優先され、スポーツ化し、営利主義に奔る相撲協会に危機感を抱いてるのは相撲ファンは少なくない。そんな中で、小柄ながらも突き押し一本で大関の座を仕留めた貴景勝の活躍に期待したい。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。

cordial8317 at 05:55│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

天皇の大権である「元号」が国民の知る権利の中で軽々しく論じられている実践の伴わない道徳教育より、神道の「随神の道」を教えよ!