2021年12月15日
「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という便利な習慣
年末になると「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という葉書が届き、年末年始には「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。
要するに故人に対する思いや信心深いさを訴えたいのだろうが、こうした挨拶に大した意味はない。 まあ、日本人というのは大らかだし、亡くなった人を思うのは結構だが、喪中を理由に普段の付き合いまで控える必要があるとは思えない。
近親者が亡くなった場合、一定の期間はその死を悼み、身を慎むことを「忌服」、或いは「服喪」という。 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという仕来りがあった。
今日では、それらの一部分が慣例として受け継がれているだけ。 ここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一週間も仕事を休んだものなら「もう、君は会社に来なくてイイよ」と誹られるだろう(笑)
喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令」には既に見られる。江戸時代になると「服忌令」という法律が作られ喪中の規定が記されている。
明治7年に出された太政官布告では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めていたが、太政官布告はGHQの統治下だった昭和22年に廃止された。
「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」という考え方からのものだ。忌中時(50日間)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としているが、そこまで喪に服している人など見たこともない。
現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては江戸時代の忌服令が一つの目安にされていて、父母の死亡に際しては七七忌(49日)までが忌中、一周忌(1年間)までが「喪中」とされるている。父母の死なら理解もするが、兄弟姉妹に止まらず叔父や叔母の死まで「喪中」というのは遣り過ぎだろう(笑)
明治6年に「葉書郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が全国に広まって行った。「年賀郵便」は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると、年賀状が次第に普及し慣例となった。
最近は年賀状離れが顕著となっているというが当然だろう。通信手段が無い時代に遠くの友人に年頭に挨拶する為に生まれたのが年賀状であり、ネットや通信網が普及された現代に於いては実に面倒な習慣でもあり、やはり時代の流れでもある。
「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という、遺族としての故人への思いはそれはそれで好い。喪中の相手に年賀状を送るのは思慮不足なのかも知れないが、悪気があって送る訳でもなし、そんなことで一喜一憂する必要もない。
「喪中なので初詣には行かない」というのも同じで、初詣は神道では死後50日を過ぎていれば問題はない。亡くなった人まで巻き込んで意味もない言い伝えを信じて、そうしたことが喪に服することだと勘違いしてはいないだろうか。
尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だがそんな人なんぞこの世にはいない。呵呵。
※コメントは返信も煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージ、御意見御感想は mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
要するに故人に対する思いや信心深いさを訴えたいのだろうが、こうした挨拶に大した意味はない。 まあ、日本人というのは大らかだし、亡くなった人を思うのは結構だが、喪中を理由に普段の付き合いまで控える必要があるとは思えない。
近親者が亡くなった場合、一定の期間はその死を悼み、身を慎むことを「忌服」、或いは「服喪」という。 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという仕来りがあった。
今日では、それらの一部分が慣例として受け継がれているだけ。 ここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一週間も仕事を休んだものなら「もう、君は会社に来なくてイイよ」と誹られるだろう(笑)
喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令」には既に見られる。江戸時代になると「服忌令」という法律が作られ喪中の規定が記されている。
明治7年に出された太政官布告では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めていたが、太政官布告はGHQの統治下だった昭和22年に廃止された。
「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」という考え方からのものだ。忌中時(50日間)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としているが、そこまで喪に服している人など見たこともない。
現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては江戸時代の忌服令が一つの目安にされていて、父母の死亡に際しては七七忌(49日)までが忌中、一周忌(1年間)までが「喪中」とされるている。父母の死なら理解もするが、兄弟姉妹に止まらず叔父や叔母の死まで「喪中」というのは遣り過ぎだろう(笑)
明治6年に「葉書郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が全国に広まって行った。「年賀郵便」は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると、年賀状が次第に普及し慣例となった。
最近は年賀状離れが顕著となっているというが当然だろう。通信手段が無い時代に遠くの友人に年頭に挨拶する為に生まれたのが年賀状であり、ネットや通信網が普及された現代に於いては実に面倒な習慣でもあり、やはり時代の流れでもある。
「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という、遺族としての故人への思いはそれはそれで好い。喪中の相手に年賀状を送るのは思慮不足なのかも知れないが、悪気があって送る訳でもなし、そんなことで一喜一憂する必要もない。
「喪中なので初詣には行かない」というのも同じで、初詣は神道では死後50日を過ぎていれば問題はない。亡くなった人まで巻き込んで意味もない言い伝えを信じて、そうしたことが喪に服することだと勘違いしてはいないだろうか。
尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だがそんな人なんぞこの世にはいない。呵呵。
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cordial8317 at 07:22│Comments(0)
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