教育勅語こそが我が国教育の指導原理である「福島知事選挙」の候補者掲示板には内堀と共産党員の二人のポスターだけ

2018年10月26日

インチキジャーナリスト・安田純平の5回目の解放と安倍の所信表明演説

 地元紙の一面には第九十七臨時国会での安倍首相の所信表明演説より、インチキジャーナリストの安田純平の記事が写真入りで躍っている。安田が初めて拘束されたのは2003年のイラク軍、同年にはイラク警察にも拘束されている。

 翌年にはバクダットで武装勢力に拘束され、2009年にも拘束される。そして2015年にヌスラ戦線に拘束されること実に5回目。要は、プロの拉致られ屋か(笑)

 今回、ヌスラ戦線に3年以上も拘束されたとされているが、当のヌスラ戦線はこれを否定。今回の帰国のニュースで知り、安田の顔も見たことが無いという。

 政府は、「身代金を払った事実はない」と否定するが、別な形で間接的に支払っているのは疑いのないことだが、どんな組織に払ったのか疑問だらけ。まあ、懲りない安田は体の好い身代金詐欺の共同正犯と言っても過言ではない。

 安倍首相の所信表明をみれば、無難な内容。立憲民主党代表の枝野幸男は、「苦しんでる国民を見てない内容」と腐し、消費税増税を目論む安倍政権を批判しているが、こういう御粗末な政党が野党第一党というのだから情けない。

 安倍は安倍で、「強い日本。それを創るのは他の誰でもない、私達自身だ」と胸を張るが、その内容をみればエアコン設置やら幼児教育の無償かなどカネのバラ撒きばかりで、子供達への教育内容を語ることは無かった。

 強い日本を創るに当り、大正時代の政治家である原敬の名を挙げ、「常に民意の存する所を考察すべし」との文言を語り悦に入ってるが、そんなものは五箇条の御誓文に在る、「万機公論に決すべし」と示されている通り。

 まあ、明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した御誓文を持ち出せば、それこそ教育勅語同様批判されるに違いないと思ったのかも(笑)

「常に民意の存する所を考察すべし」というが、これは国民目線に立つことではないし大衆に媚びることでもない。民主主義の根本は多数決だが、数の多い意見が正しいとも限らないし、考察はすれど迎合する必要もない。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故にマスコミに因って世論操作が行われる。そういう意味では現在の民意とは国民の意見ではなく、マスコミに誘導された意見に過ぎない。

 マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに社会の木鐸としての正義や公正さはない。単なる株式会社の営利主義とサラリーマン思考。

 反権力を勘違いして何でもかんでも腐すマスコミとそれに便乗して騒ぎ立てる民衆。安倍もまたモリカケでの負い目か、マスコミに煽られた国民の視線を気にして「常に民意の存する所を考察すべし」とは正しく大衆迎合主義そのもの。

 政治が国民目線に立つと必ず国は滅ぶのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で軽々しく、そして気紛れなものだからだ。政治とは、国家観を重んじ、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものである。

 安倍も長期政権の締め括りと戦後政治の総括を目指すなら、民意の存する所は考察すれど、国家のリーダーとして強固な意思と決断力こそ持つべきである。

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cordial8317 at 04:02│Comments(0)

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