2018年10月12日
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」
来週は靖國神社の秋季例大祭。一昨日、靖國神社の小堀邦夫宮司が退任した。週刊ポストに、神社内の会議で「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く。はっきり言えば、今上陛下は靖國神社を潰そうとしてるんだよ」などとの発言内容がすっぱ抜かれ、悪意的に報じられたことで責任を取って辞任。
週刊誌ポストは、「靖國神社トップが皇室批判」と仰々タイトルが躍る。「靖國神社を潰そうとしてる」という表現は気になるが、「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」とは、強ち間違ってるとも言い切れない。
日頃、軽々しい皇室記事を垂れ流し靖國神社にも見向きもしない連中が、ここぞとばかりに批判の声を上げてるのは厭きれる。神社側は「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と、宮司が宮内庁に陳謝し、退任の意向を伝えたという。
神社側のスパイに因るリークというのは神社内部の権力闘争であり、今や靖國神社が明治神宮と同じく一宗教法人に成り下がってしまっている感は否めない。
陛下は慰霊の旅は熱心ではあるが、見方に拠っては小堀宮司の言う通り、靖國への参拝は褪めている様にも見える。宮司はそうしたことを憂い、戦地の慰霊の旅より靖國神社への御親拝を望む気持ちを言葉は過激だが素直に発しただけのこと。
前任者の徳川康久元宮司が、「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。唯、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」との発言もまた記憶に新しい。
徳川家15代将軍・徳川慶喜の曾孫という「賊軍トップの末裔」である徳川康久が、「官軍を祀る神社のトップ」に立ったことを奇異に感じた関係者もいただろうし、「こちらが賊軍になった」との徳川宮司の発言を訝しく思ったに違いない。
明治天皇の思し召しに拠り創建された「東京招魂社」だが、「國靖かれ」との想いは官軍も賊軍も同じだろう。新政府の三条実美が「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と祭文に明示したことで合祀に影響を及ぼした。この祭文の原則がある限り「賊軍」は未来永劫賊軍の儘なのだ。
長州閥に因り、「明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設の為に命を捧げた官軍側犠牲者のみを顕彰する社」となった。明治9年、明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれている。巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を、明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。
戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされ、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだが、明治新政府は東軍の戦死者を靖國神社に祀ることなく、不正義と不条理を糺すことはしなかった。
靖國神社が御神霊の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか理解出来るのではなかろうか。
明治天皇の思し召しで創建された神社が、陛下が「靖國神社を潰そうとしてる」のであればそれはそれで一考に値する。靖國神社側は「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないと理解しております」との回答は如何なものか。
何れにしても最近の靖國神社は、大東亜戦争の戦意高揚を称えるばかりで、顕彰という趣旨からは程遠いものとなり、明治天皇の創建の大義を重んじる宮司が次々と退任させられてる状況は、靖國神社終身正会員の愚生としては憂うるばかり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
週刊誌ポストは、「靖國神社トップが皇室批判」と仰々タイトルが躍る。「靖國神社を潰そうとしてる」という表現は気になるが、「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」とは、強ち間違ってるとも言い切れない。
日頃、軽々しい皇室記事を垂れ流し靖國神社にも見向きもしない連中が、ここぞとばかりに批判の声を上げてるのは厭きれる。神社側は「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と、宮司が宮内庁に陳謝し、退任の意向を伝えたという。
神社側のスパイに因るリークというのは神社内部の権力闘争であり、今や靖國神社が明治神宮と同じく一宗教法人に成り下がってしまっている感は否めない。
陛下は慰霊の旅は熱心ではあるが、見方に拠っては小堀宮司の言う通り、靖國への参拝は褪めている様にも見える。宮司はそうしたことを憂い、戦地の慰霊の旅より靖國神社への御親拝を望む気持ちを言葉は過激だが素直に発しただけのこと。
前任者の徳川康久元宮司が、「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。唯、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」との発言もまた記憶に新しい。
徳川家15代将軍・徳川慶喜の曾孫という「賊軍トップの末裔」である徳川康久が、「官軍を祀る神社のトップ」に立ったことを奇異に感じた関係者もいただろうし、「こちらが賊軍になった」との徳川宮司の発言を訝しく思ったに違いない。
明治天皇の思し召しに拠り創建された「東京招魂社」だが、「國靖かれ」との想いは官軍も賊軍も同じだろう。新政府の三条実美が「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と祭文に明示したことで合祀に影響を及ぼした。この祭文の原則がある限り「賊軍」は未来永劫賊軍の儘なのだ。
長州閥に因り、「明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設の為に命を捧げた官軍側犠牲者のみを顕彰する社」となった。明治9年、明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれている。巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を、明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。
戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされ、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだが、明治新政府は東軍の戦死者を靖國神社に祀ることなく、不正義と不条理を糺すことはしなかった。
靖國神社が御神霊の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか理解出来るのではなかろうか。
明治天皇の思し召しで創建された神社が、陛下が「靖國神社を潰そうとしてる」のであればそれはそれで一考に値する。靖國神社側は「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないと理解しております」との回答は如何なものか。
何れにしても最近の靖國神社は、大東亜戦争の戦意高揚を称えるばかりで、顕彰という趣旨からは程遠いものとなり、明治天皇の創建の大義を重んじる宮司が次々と退任させられてる状況は、靖國神社終身正会員の愚生としては憂うるばかり。
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cordial8317 at 04:54│Comments(0)
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