2018年09月15日
ノルウェーやアイスランドに倣いIWCから脱退し商業捕鯨を再開すべき
地元紙の福島民報新聞に、「商業捕鯨再開困難に」というタイトルが躍っている。読めば、ブラジルで開かれてる国際捕鯨委員会(IWC)総会で、日本が求めてる商業捕鯨が反対国の理解が得られず再開は困難になったというだけのこと。
捕鯨に関してはIWCで、我が国の地道な調査と科学的データを明らかにしたことで、孤立無援だった我が国への賛同国も徐々に増えていたのは事実。捕鯨問題は我が国の外交史上、貴重な勝利事例になる可能性が見えていたのも確かだった。
だが、2年前、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が、「日本の現在の調査捕鯨は商業捕鯨であり条約に違反する」として調査捕鯨すら認められず、捕鯨停止を命令したことで調査捕鯨による科学データの開示という地道な活動が水泡に帰した。
感情的に反捕鯨を叫び、己らの倫理観と偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と妥協点を見出すことは不可能。調査捕鯨すら容認されないならば、我が国は早々にIWCから脱退し、ノルウェーやアイスランドを見倣って捕鯨を再開すべきだ。
仮にIWCを脱退した場合、「国際ルールを軽視したとの批判が避けられない」というが、日本が脱退すればIWCの存在価値も無くなるだろう。「南極海域での調査捕鯨が出来なくなる」というが、沿岸での捕鯨再開で調査捕鯨の意味もなくなる。
「クジラは絶滅危惧種」というが、実際にはクジラは種類にも拠るが、絶滅どころか殖えているのは確かなことだ。調査捕鯨でのデータを無視して、次には「クジラやイルカは人間に近く可哀そう」などと安っぽい感情論に訴える始末。
映画「ザ・コーブ」では、和歌山県太地町でのイルカ漁を如何にも残虐な行為として描いた。デンマークの首都コペンハーゲンから、北へ飛行機で2時間程のバイキングの末裔達が住む島フェロー諸島では、鯨やイルカを追い込み漁で捕獲する。
大半はゴンドウ鯨で、イルカは1~2割程度。年間850頭程捕獲されるが、捕鯨シーズンは仕事を中断し住民総出で行われる。獲れた鯨やイルカはその場で処理され、海は血で真っ赤に染まる。海が真っ赤に染まるシーンはショッキングではあるが、牛や豚の屠殺シーンを見たらショックのあまり卒倒するのではあるまいか。
「ザ・コーブ」が話題になった後、日本人女性監督が「ビハインド・ザ・コーヴ」いう映画を製作して、「日本にとっての捕鯨やイルカ漁への重要さ」を訴えた。
調査捕鯨によってクジラが殖え、資源回復が明らかになっているにも拘らず、こうした逆行する判決をすることこそ環境を損ねることが何故に分からないのか。
地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5000万トン~4億トンと言われる一方、世界の漁師の漁獲量はその半分以下の約1億トンに及ばない。「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる。食料自給率の乏しい我が国にとって捕鯨こそ推進すべき国策でもある。
我が国の捕鯨というのは我が国の文化でもあるのだ。日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代初期の1606年に遡る。紀州(和歌山)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。
松尾芭蕉は「水無月や鯛はあれども塩鯨」と詠んだ。塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で大衆食として愛された。19世紀初頭には「鯨肉調理方」が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していた食文化だった。
北海道や東北地方では正月に「鯨汁」を食するし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具が入る。
反捕鯨のアホ連中というのは鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと、愚にも付かない反論をしている者まで出る始末。だが、それは欧米の捕鯨は皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと錯覚し勘違いしているものばかり。
日本人はクジラを食するだけではなく髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となり、漁師達は鯨塚を立て供養する、正に日本文化そのものなのだ。
捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題もある訳で、「反捕鯨」や「反イルカ漁」とは日本文化の否定でもあり、日本人蔑視。日本への憎悪剥き出しの国が蠢くIWCで合意を得るのは不可能。商業捕鯨を強行すべし!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
捕鯨に関してはIWCで、我が国の地道な調査と科学的データを明らかにしたことで、孤立無援だった我が国への賛同国も徐々に増えていたのは事実。捕鯨問題は我が国の外交史上、貴重な勝利事例になる可能性が見えていたのも確かだった。
だが、2年前、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が、「日本の現在の調査捕鯨は商業捕鯨であり条約に違反する」として調査捕鯨すら認められず、捕鯨停止を命令したことで調査捕鯨による科学データの開示という地道な活動が水泡に帰した。
感情的に反捕鯨を叫び、己らの倫理観と偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と妥協点を見出すことは不可能。調査捕鯨すら容認されないならば、我が国は早々にIWCから脱退し、ノルウェーやアイスランドを見倣って捕鯨を再開すべきだ。
仮にIWCを脱退した場合、「国際ルールを軽視したとの批判が避けられない」というが、日本が脱退すればIWCの存在価値も無くなるだろう。「南極海域での調査捕鯨が出来なくなる」というが、沿岸での捕鯨再開で調査捕鯨の意味もなくなる。
「クジラは絶滅危惧種」というが、実際にはクジラは種類にも拠るが、絶滅どころか殖えているのは確かなことだ。調査捕鯨でのデータを無視して、次には「クジラやイルカは人間に近く可哀そう」などと安っぽい感情論に訴える始末。
映画「ザ・コーブ」では、和歌山県太地町でのイルカ漁を如何にも残虐な行為として描いた。デンマークの首都コペンハーゲンから、北へ飛行機で2時間程のバイキングの末裔達が住む島フェロー諸島では、鯨やイルカを追い込み漁で捕獲する。
大半はゴンドウ鯨で、イルカは1~2割程度。年間850頭程捕獲されるが、捕鯨シーズンは仕事を中断し住民総出で行われる。獲れた鯨やイルカはその場で処理され、海は血で真っ赤に染まる。海が真っ赤に染まるシーンはショッキングではあるが、牛や豚の屠殺シーンを見たらショックのあまり卒倒するのではあるまいか。
「ザ・コーブ」が話題になった後、日本人女性監督が「ビハインド・ザ・コーヴ」いう映画を製作して、「日本にとっての捕鯨やイルカ漁への重要さ」を訴えた。
調査捕鯨によってクジラが殖え、資源回復が明らかになっているにも拘らず、こうした逆行する判決をすることこそ環境を損ねることが何故に分からないのか。
地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5000万トン~4億トンと言われる一方、世界の漁師の漁獲量はその半分以下の約1億トンに及ばない。「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされる。食料自給率の乏しい我が国にとって捕鯨こそ推進すべき国策でもある。
我が国の捕鯨というのは我が国の文化でもあるのだ。日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代初期の1606年に遡る。紀州(和歌山)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。
松尾芭蕉は「水無月や鯛はあれども塩鯨」と詠んだ。塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で大衆食として愛された。19世紀初頭には「鯨肉調理方」が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していた食文化だった。
北海道や東北地方では正月に「鯨汁」を食するし、「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具が入る。
反捕鯨のアホ連中というのは鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり、「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと、愚にも付かない反論をしている者まで出る始末。だが、それは欧米の捕鯨は皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと錯覚し勘違いしているものばかり。
日本人はクジラを食するだけではなく髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となり、漁師達は鯨塚を立て供養する、正に日本文化そのものなのだ。
捕鯨問題の背景には、こういった日本の伝統的鯨文化の問題もある訳で、「反捕鯨」や「反イルカ漁」とは日本文化の否定でもあり、日本人蔑視。日本への憎悪剥き出しの国が蠢くIWCで合意を得るのは不可能。商業捕鯨を強行すべし!
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cordial8317 at 05:30│Comments(0)
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