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2018年09月13日

サンデー毎日の記事「戦後の右翼はこう変わった」を読んでの雑感

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 サンデー毎日(9.23.2018号)に所属していた防共挺身隊(防挺)のことなどが載っているというコメントが寄せられたので暇潰しに読んでみた。

 安田浩一というジャーナリストが書いたもので、タイトルは「戦後の右翼はこう変わった」。どうってことない内容で、山口なんちゃらというシバキ隊と活動を共にする右翼がヘイト発言(ヘイトかどうかは定かではないが)を支持する某右翼から暴力を振るわれたとして愛宕署に被害届を提出。この行為を取っ掛かりに戦前戦後の右翼と現在の右翼の違いや右翼の在り方を問う内容となっている。

 基本的に右翼そのものを好意的な存在だという意識が働いてる様で直接的な批判は控えている。現在の右翼団体の活動を見れば、愛国(保守)ブーム便乗したポピュリズムが主と言えなくもないが、最近の右翼の活動に対する混迷や不作為、為体は右翼団体幹部や指導者の無能と比例する。記事ではそうした指摘は無い。

 況してやこの山口なんちゃら、苗字から山口二矢の親族を騙っていたことがある。疑問を持った山口二矢の親族の女性から愚生に問い合わせがあった。

 何やら、二矢の親族の女性は山口なんちゃらにネット右翼と断定され、執拗に恫喝・暴言を繰り返されたという。その女性は恐怖からSNSを止めた。女性は被害届は出さなかったが、自分が突き飛ばされて早々に被害届を出すとは姑息過ぎる(笑)

 昨今は「街宣右翼は朝鮮右翼」などと批判される。批判してるのは、記事にも出ている所謂ネット右翼や自称愛国者らだ。愚生が所属していた防挺は、街宣右翼のパイオニア的存在で、設立当初は半分以上が在日朝鮮人が占めていたのは否定しない。当時、幹部だった石川某や西原某の国籍は北朝鮮(後に韓国に変更)だし(笑)

 当時は「反共」が運動の主体であり、反共ならば朝鮮人だろうが関係なかった。抑々、「街宣右翼」自体にそれほどの歴史はないし、日本を貶めてると言われるほど影響力も無い。そんな右翼に貶められたとしても滅びる様な日本でもない。

 昭和30年代から50年代の左翼全盛時代、日本を貶めようとしていたのは左翼団体であり、それらを殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、また高度成長期には警備会社が無く、代わりに企業防衛をしていた右翼を、現在の風潮や価値観で、「朝鮮右翼」などと揶揄されたり、街宣右翼の行動の全てを断じられる謂れもない。

 戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在である。戦前の右翼というのは、「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判するべき対象だった。国體や皇統を曇らす勢力は何であろうが排除するという思想を有していた。

 自称愛国者やなんちゃって国士らは、「街宣右翼は朝鮮右翼」とか、「街宣右翼が日本を貶める」などと断じるが、右翼の何たるかも知らず、自らは資本主義や民主主義にどっぷりつかってるのも自覚せずに右翼を批判してるなら罪が無い(苦笑)

 戦後の右翼が、国粋主義から「反共」のみに奔り、愚連隊組織になってしまったのは、「右翼の巨頭」や「フィクサー」と称された児玉誉志夫の影響が大きい。

「政財界の黒幕」とも言われた児玉誉志夫の出身地は福島県本宮町(現本宮市)。戦前は、海軍航空部門の物資調達を任された「児玉機関」の親玉でもあり、戦後は、「A級戦犯」としてGHQに逮捕された経歴もある大物右翼である。

 GHQは占領下に於いて、戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だとして、右翼団体や危険人物を公職追放し潰そうとするが、大東亜戦争が終結するとドイツと日本の防共の砦が崩壊し、アジアや世界各地で共産主義革命や暴動が起こった。

 日本国内でも同様で、共産主義に傾倒していた連中が大手を振って延し歩く様になる。これを危惧したGHQは右翼解体の方針を転換し、右翼勢力を「反共」に利用することにする。児玉と同じく、A級戦犯だった笹川良一もこの方針に与した。

 児玉も笹川も、米国の意の儘に、戦前の右翼で在り乍ら、戦後の米国の価値観である「民主主義」や「資本主義」に与し、「共産主義」のみを悪として反共運動を忠実に実行した。児玉や笹川が米国のスパイと言われるのはその所為でもある。

 児玉は、「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に全国の博徒や香具師を纏め上げ、右翼団体を次々と立ち上げ「日教組撲滅」などの反共運動を展開する。

 右翼団体の掲げる「憲法改正」や「北方領土奪還」「靖國神社国家護持」「自衛軍備強化」などのスローガンにしても、自民党を始めとする保守派のものと同一なのは戦後の右翼が、自民党の「院外団」的存在として設立された名残でもある。

「戦後の右翼はこう変わった」の記事で気になったのは、防挺を設立したのは福田素顕となってたが、防挺に30年所属してて初めて聞いた。確かに防共挺身隊というのは防共新聞社の行動隊であり、素顕が資金を出していたとすれば然もありなん。

 福田素顕(本名・福田狂二)は、元社会主義者で、官憲に弾圧を受け支那に亡命。国共戦で毛沢東軍に敗れると蒋介石と共に台湾へ。後に日本へ戻り、国家社会主義者へ転向。「日本労農党」「進め社」などを設立した。初代防共新聞社社主。

 素顕が防共新聞の宣伝部隊として行動部隊の設立に関わったことは間違いないが、防挺は大日本愛国党の城南支部も兼任していた。素顕が設立したというより、長男の福田進が設立し、初代総隊長に就いた。因みに、福田進は赤尾敏と袂を分かつ。その分かつことになった理由は、「赤尾は完全な資本主義者だ」と断じている。

 記事には街宣で音楽を鳴らしたのは防挺が「ちゃんちきおけさ」を流したのが最初と書かれている。詳しく言えば、福田総隊長が都知事選で目立つ方法はないかと蓄音機を宣伝車に載せて、ちゃんちきおけさを流したのが始まり。

 今の様にカセットやCDなんて無いから走ると針が好く飛んだという。でも、この話を知ってるのは当時一緒に行動してた元幹部から直接聞いた愚生くらいなもの。

 記事の「ちゃんちきおけさ」の件は愚生のブログ(街宣右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊のOBとして思うこと http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51904013.html)のパクリ記事だろうと思うが、取材しろっての(笑)

 因みに、街頭演説を新橋駅頭でやってたのは、場所柄、上場企業が多く企業の担当者へのアピール。福田進総隊長曰く、「街宣は株主総会で発言させるのに度胸を付けさせる為のもので、本来の右翼活動はパクられてなんぼ」。まぁ日教組大会などでパクられると団体名が新聞に載り、協賛金のカネが跳ね上がった(笑)

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cordial8317 at 08:54│Comments(0)

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