2018年07月20日
福島県内で中日新聞主催の講演会が行われる不思議
地元紙に先月28日、三春町で政治学者の姜尚中と三春町在住の玄侑宗久が「こころの好縁(こうえん)」と題した講演内容が載っている。主催は何故か朝日新聞よりも悪質な中日新聞。この2人に中日新聞の主筆小出宣昭が加わる。
「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの真の復興と日本の行方について考える」との内容から、その胡散臭さが分かるというもの。姜尚中は本名は「長野鉄男」。熊本県出身だが、朝鮮名の方が何かと便利なので朝鮮名を名乗っている。
東大名誉教授の肩書と物静かな物言いが尤もらしく聞こえるが、その内容は実に薄っぺらなオナニー的主張ばかり。姜は、東日本大震災での犠牲者を数字の大小で表した「定量化」に強い違和感があったという。暗に、原発事故での避難者に限らず、数字で表せない放射線被害者はそれ以上にいると言いたいのだろう。
「死者は第二次世界大戦より少ない」という戦争経験者もいたという。そんなことを言った戦争経験者がいたとは思えないが、こういう如何にもといった例を出して聴衆を誑かすのは姜の得意とするところ。エネルギー政策を考えるのは好い。
「軍艦島からエネルギーの明治150年を追い掛けてきた」と腐し、「日本列島のどこで震災が起きてもおかしくない。南海トラフ巨大地震が発生したら犠牲者は天文学的数値になる」と危険を煽る。要は、南海トラフ上に在る静岡県の浜岡原発と四国愛媛県の伊方原発のことを示唆してるのだろう。日本の技術力を信じたら如何。
その上で熊本地震の例を挙げて、「被害状況をお金に換算した」ことを批判する。これも被害額と実際の犠牲者数は違うと言いたいのだろう。「情を持ち、筋道を立てる理(ことわり)を尽くすのが政治」というのに異論は無い。
姜はこう続ける。「情もなく理もない現在の政治に大きな疑問を感じる」と暗に安倍政権を批判する。要は、コレというか安倍批判をしたいのだろうな(笑)
玄侑宗久は三春町の臨済宗福聚寺住職で、「中陰の花」で芥川賞を受賞した人物である。地元紙のコラム「日曜論壇」にも登場する無自覚左翼でもある。否、左翼活動家といっても好いくらいその考えは偏狭的且つ左翼的なものばかり。
「知識の分断を懸念するとは何のこっちゃ?」と思えば、空間(室内)放射線線量、「毎時0.23μ㏜(マイクロシーベルト)」について、国の放射線審議会が、「市民が混乱するから基準の数値は変えない」という方針に苦言を呈している。
愚生も毎時0.23μ㏜という数値には違和感を覚えている一人だ。この数値は年間被曝線量を1m㏜(ミリシーベルト)とした場合の数値だが、国際基準の年間被曝線量は20m㏜であり、除染作業にしろ復旧復興の遅れもこの数値が元凶でもある。
年間被曝線量1m㏜は原発事故が起きた際の民主党政権下で、大の嫌煙家で健康オタクの小宮山洋子を中心に国民議論もなく実行されたものに過ぎない。
玄侑は、愚生とは真逆で「この数値を更に厳しくするべきだ」との認識から批判している。その上で「再び原発事故が起きたら知識の分断が起こるだろう」と妄想を逞しくする。「知識の分断」とは哲学的ではあるが全く以て意味不明。こんなこと聴衆が聞いて理解したとは思えない。分かったフリをしているだけだろう(笑)
原発事故は民主党政権下で菅直人が引き起こした「人災」である。大事なのは二度と人災を繰り返さない為にはどうすべきかであり、またこの事故での教訓を将来どう活かすかだ。「再び原発事故が起きたら」とは他人事にしか聞こえない。
国内原発に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界に在る原発事故に対して、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ大事であって、今更、被曝線量を見直して基準を高くすることではない。
玄侑は、「市町村の自治体がしっかりしていれば災害にも素早く対応できる」と述べている。ならば、西日本での豪雨災害も同じだろう。自治体の問題点は沈黙し、「赤坂自民亭」と揶揄し安倍政権のみを断じるのは整合性に欠ける。
この二人に共通するものは、安っぽい正義感と偏狭な主義主張の押売り。抑揚を抑えて如何にも正論ぶるが、中身は全く無い薄っぺらい倫理観でしかない。
左翼どもの鼎談の目的は、「フクシマ」を利用した反原発運動と安倍政権批判であり、鼎談の中身も上っ面のキレイゴトを滔々と語っているに過ぎない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの真の復興と日本の行方について考える」との内容から、その胡散臭さが分かるというもの。姜尚中は本名は「長野鉄男」。熊本県出身だが、朝鮮名の方が何かと便利なので朝鮮名を名乗っている。
東大名誉教授の肩書と物静かな物言いが尤もらしく聞こえるが、その内容は実に薄っぺらなオナニー的主張ばかり。姜は、東日本大震災での犠牲者を数字の大小で表した「定量化」に強い違和感があったという。暗に、原発事故での避難者に限らず、数字で表せない放射線被害者はそれ以上にいると言いたいのだろう。
「死者は第二次世界大戦より少ない」という戦争経験者もいたという。そんなことを言った戦争経験者がいたとは思えないが、こういう如何にもといった例を出して聴衆を誑かすのは姜の得意とするところ。エネルギー政策を考えるのは好い。
「軍艦島からエネルギーの明治150年を追い掛けてきた」と腐し、「日本列島のどこで震災が起きてもおかしくない。南海トラフ巨大地震が発生したら犠牲者は天文学的数値になる」と危険を煽る。要は、南海トラフ上に在る静岡県の浜岡原発と四国愛媛県の伊方原発のことを示唆してるのだろう。日本の技術力を信じたら如何。
その上で熊本地震の例を挙げて、「被害状況をお金に換算した」ことを批判する。これも被害額と実際の犠牲者数は違うと言いたいのだろう。「情を持ち、筋道を立てる理(ことわり)を尽くすのが政治」というのに異論は無い。
姜はこう続ける。「情もなく理もない現在の政治に大きな疑問を感じる」と暗に安倍政権を批判する。要は、コレというか安倍批判をしたいのだろうな(笑)
玄侑宗久は三春町の臨済宗福聚寺住職で、「中陰の花」で芥川賞を受賞した人物である。地元紙のコラム「日曜論壇」にも登場する無自覚左翼でもある。否、左翼活動家といっても好いくらいその考えは偏狭的且つ左翼的なものばかり。
「知識の分断を懸念するとは何のこっちゃ?」と思えば、空間(室内)放射線線量、「毎時0.23μ㏜(マイクロシーベルト)」について、国の放射線審議会が、「市民が混乱するから基準の数値は変えない」という方針に苦言を呈している。
愚生も毎時0.23μ㏜という数値には違和感を覚えている一人だ。この数値は年間被曝線量を1m㏜(ミリシーベルト)とした場合の数値だが、国際基準の年間被曝線量は20m㏜であり、除染作業にしろ復旧復興の遅れもこの数値が元凶でもある。
年間被曝線量1m㏜は原発事故が起きた際の民主党政権下で、大の嫌煙家で健康オタクの小宮山洋子を中心に国民議論もなく実行されたものに過ぎない。
玄侑は、愚生とは真逆で「この数値を更に厳しくするべきだ」との認識から批判している。その上で「再び原発事故が起きたら知識の分断が起こるだろう」と妄想を逞しくする。「知識の分断」とは哲学的ではあるが全く以て意味不明。こんなこと聴衆が聞いて理解したとは思えない。分かったフリをしているだけだろう(笑)
原発事故は民主党政権下で菅直人が引き起こした「人災」である。大事なのは二度と人災を繰り返さない為にはどうすべきかであり、またこの事故での教訓を将来どう活かすかだ。「再び原発事故が起きたら」とは他人事にしか聞こえない。
国内原発に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界に在る原発事故に対して、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ大事であって、今更、被曝線量を見直して基準を高くすることではない。
玄侑は、「市町村の自治体がしっかりしていれば災害にも素早く対応できる」と述べている。ならば、西日本での豪雨災害も同じだろう。自治体の問題点は沈黙し、「赤坂自民亭」と揶揄し安倍政権のみを断じるのは整合性に欠ける。
この二人に共通するものは、安っぽい正義感と偏狭な主義主張の押売り。抑揚を抑えて如何にも正論ぶるが、中身は全く無い薄っぺらい倫理観でしかない。
左翼どもの鼎談の目的は、「フクシマ」を利用した反原発運動と安倍政権批判であり、鼎談の中身も上っ面のキレイゴトを滔々と語っているに過ぎない。
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cordial8317 at 08:01│Comments(0)
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