本日は「地久節」であり「母の日」でもある武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道である

2021年12月10日

「地球市民」と同じ臭いを放つ「持続可能な開発目標(SDGs)」

 今や誰もが使う「協働」という言葉だが、この「協働」は抑々共産党系のスーパーでもある生協(COOP)が使用してた言葉で共産党の造語である。その意味は「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」だと説明する。

「協働とはコラボレーション(collaboration)である」というならば「共同」で十分だろうに、何故か「協働」という言葉を有り難がって使用する不思議。

「共同」と「協働」の意味は同じだと言うが、その目的は全く違うものだ。「共同」とは、一つの目標の為に複数の人が力を合わせて働くことである。一方の「協働」のその主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」が主役なのである。

 共産主義者や戦後民主主義教育に侵されてる無自覚左翼らは「国民」という言葉を毛嫌いして「市民」という言葉を使いたがる。「国民ではなく市民が中心」というマヌケな反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚している。

 反天皇の左翼勢力にしろ、GHQが謀った戦後民主主義教育という洗脳から覚めない無自覚左翼というのは、国家から恩恵を享けなが、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做し、その共通の標語が「市民」なのだ。

「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにあるといって好いだろう。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。

 地方自治体や町集落の住民が協力して地元の連帯と絆を深めるのは大いに結構なことだとは思うが、「協働」や「男女共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、つまりコミュンテルン(国際共産主義運動)の創造であり、世界革命の実現を目指す組織に似たり。

 共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。

「協働」と同じく「男女共同参画社会」の究極の目的は「共産(共参)社会の実現」が目的である。これら亡国的企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものだ。

 こうした愚策を、戦後民主主義教育で育った無自覚左翼が犇く自民党政権下で疑いも無く導入し、今では担当大臣までいるという御粗末さは厭きれるばかり。

「協働のまちづくり」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOを始め、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と尤もらしく説明する。

 今や「天皇制」を始めとした共産党造語があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている始末。最近では女性宮家が受け容れられないと見るや「皇女制度」に切り替えて国民世論を誑かし皇統断絶を謀る。

 流行りの「持続可能な開発目標(SDGs)」もその一つで、世界規模で共通の目標に向かおうというものだが、世界を股にかけて金儲けを企む「地球市民」と同じ臭いを放つ。SDGsは、世界の共産主義者に因る新手の左翼運動ではあるまいか。

 SDGsとは「全ての人々にとってよりよいより持続可能な未来を築く為の青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します」ということらしいが、実に胡散臭い。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく、保守を標榜する自民党だったというのはM1グランプリでも優勝出来そうだ。

 昨今の共産主義者は、昔の様に赤旗を振り翳したりというあからさまな破壊活動は行わない。例えば、反天皇運動でも如何にも陛下の高齢や体調を慮り、世論誘導を謀った。その結果、易易と退位法案を成立させ天皇の退位の実行させてしまった。

 そうして巧妙にカタチを変えた左翼勢力は、男女共同参画社会、夫婦別姓、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、極め付けは女性宮家論、女性天皇~女系天皇と次から次へと国體破壊の策謀を積み重ねている。

「協働」や「天皇制」を始め、左翼の造語と左翼に因る企画や愚策が氾濫し、それを国民が疑いも無く使用し、賛同している実態は、我々が想像している以上に左翼勢力が権力側に入り込み、行政権と連結せしめてしまっているという証左でもある。

 嘗て三島由紀夫は「文化防衛論」の中で「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と語っている。だが、今や 我が国の現状は三島が悲観した当時よりも酷い状況に陥っている。

 これら左翼勢力の謀った愚策に対峙するべき保守陣営や愛国陣営を見渡せば「反中共」や「反韓」を叫んでいるばかり。敵は外患ではなく、正に内憂に在り。

 自民党の「立党宣言」にも「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」と在るが、情けないことに単なる画餅と化してしまっている。

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cordial8317 at 07:03│Comments(0)

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