世の人はわれを何とも言はヾいへ わがなすことは我のみぞしる(坂本龍馬)すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし

2022年11月21日

政治家がちゃんと政治をしていれば鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられる(三島由紀夫)

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」と語ったのは三島由紀夫。実に分かり易い。

 最近は政治を語るのも億劫になった。ネットでサラリーマンや主婦らが政治に関心を寄せてる間は、政治がまともに機能していないということでもある(笑)

「私も間違ってるが世間はもっと間違っている」とか「大衆の多くは無知で愚かである」と訓えたのはアドルフ・ヒトラー。ネット民の多くが自分の意見こそ正しいと思っているが、その正しい意見の多くがマスコミや大衆が生み出した価値観だ。

 自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりしているが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる相手を翻意させることなど到底無理なことなのだが、そうしたことにも気付かずに無意味な論争を繰り返している様子は気の毒にも思う。

 意見の食い違い以前に、嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけだ。「生理的に合わない」とか、「以心伝心」というが、自分が嫌いだなとか、苦手だなと思ってるいる相手というのは、向こうも同じ様に感じているものだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えなくもないが、意見される側がそれらを受け容れる気持ちが無ければ、意見や苦言というのは単なる「余計なお世話」でしかない。

 マスコミが垂れ流し続けている偏狭な正義感や幼稚な平和主義に煽られてる大衆が現在の有権者であり、そんな有権者の一票目当てに政治家が大衆に媚び諂う。こうして当選してきた政治家らに国益や国家観を期待する方が無理というものだろう。

「主権在民」などというと聞こえは好いが、1億2000万分の1の主権では無いのと同じ。主権在民とか民主主義なんてのは在る様に錯覚しているに過ぎない。

 国民で一番多いのが戦後民主主義にどっぷり漬かった後期高齢者だ。その無自覚左翼の高齢者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、そうした高齢者に耳障りの好い政策を訴える。正義や常識なんぞ二の次で、国益なんて関係ない。

 正に我が国の政治が大衆迎合というポピュリズムに陥って何十年たったのだろう。衆愚政治が限界を迎えるまで国民はその根本的間違いに気が付くことも無い。

 ネットであ~だこ~だと騒いでるサラリーマンや主婦も、今置かれた立場を懸命に熟すことこそが政治を糺すことに繋がるのだ。それでも政治の混迷や混乱が続くなら「維新」という革命が起こるだろう。そう、歴史は正に繰り返されるのである。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、日本が恰も滅亡するかの様に叫ぶ保守派や自称・愛国者らは「天壌無窮の神勅」を疑い、怪しい世論の流れに便乗して国民の不安を煽るが、そこに国防を論じる俯瞰された言葉はない。

 神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。正統保守を自任するならば神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すべきで、領土主権や中共からの外圧の脅威のみを訴えるのは単なる営業保守というのが正しい。

 我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至り、そして未来へ続いて行くのだ。「この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」とは吉田松陰の至言である。

 マスコミが騒ぎ立てる統一教会問題や政治とカネの騒動に騙されることなく、愛国者や維新者を自任するならばいつかの一旦緩急に備え、己を鍛え上げよ!

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cordial8317 at 08:13│Comments(0)

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