2024年05月20日
言葉や文章を書き留めて少しでも近付ける様に努力することが大事
誰しも「好きな言葉」というのはあるだろうし、感銘を受けた本や座右の書というものもあるだろう。金言や格言の多くは実践と経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。逆を言えば、実体験を伴わない言葉は軽々しい。
「人真似上手は個性を創造する」という様に、そうした言葉や文章を書き留めて、少しでもその尊敬する人や憧れの人物に近付ける様に努力することは大事なこと。
「日本とロシアは提携の必要性がある」などといった開国論を展開し、安政の大獄で斬首された越前福井藩士の橋本左内は、学問を学ぶ極意をこう訓えている。
「志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ、及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい」。日頃からの実践が後々の自分の身に成る。
右翼人にもいるが、よく読書の量を自慢している自称読書家を見かける。斯くいう愚生も、大学時代から政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々なジャンルの書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたのも事実(笑)
自称読書家曰く「読書は楽しい」と宣う。だが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でも好いし、落語や講談、歌舞伎などでも好いだろう。
本というものは、読まないよりは読んだ方が好いというくらいなのもので、橋本左内ではないが、感じ入った部分を何度も読んだり書き留めたり、その書いた文章を眺めたりして、自分の糧になる様に心に確りと刻み込むことこそ大事なこと。
勉強とか学ぶという基本的な在り方は、活眼を以て生きた本を読むことだ。ベストセラーなんぞ単なる暇潰しの様なもの。読んで学んで実践しなければ意味は無い。
常々、心眼を開いていれば「生きた学問」や参考書となるべきものは多く在る。「生きた学問」とか「耳学問」で一番好いのが、失敗に失敗を重ねた上で成功した人物の話であり、くだらん営業保守らの売文なんぞより学ぶことは実に多い。
保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、領土主権や国防論を尤もらしく語って、反中共やら反韓・反北朝鮮の脅威を煽って稼いでるだけ。保守を気取ってはいるが、尊皇精神に乏しく、保守したいのは現在の立場や生業だけ。
経営の実践も無い経営学教授然り、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。憲法学の教授なんてのは憲法擁護の左翼学者ばかりで、現憲法を生業にしている学匪ばかり。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず」というが、小人は学問を売り物にし耳から聞き齧った事をその儘に口にするので少しも身に付かない。未だ自分の口で話すだけ好いが、無言のリツイートは身に付かないどころか周りにとっては迷惑千万。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず」との喩えは、愚生的には実に耳が痛いものを感じるが、繰り返して語ることで自分の思想になっていく場合も多い。「人真似上手は個性を創造する」というのも、繰り返すことの大切さを教えている。
自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことはなく、衒学臭くはないという。確かに新渡戸稲造の「武士道」でも衒学は一番嫌われると教えている。
武士道の一説に在る、「学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出すものでなくてはならないのである」とは、実に示唆に富んでいる。
学問とは本来自分自身の向上の為のものである。仲間にしか通用しない夥しいコピペをSNSに貼り付けたり無言リツイートしたり、付け焼き刃の知識をひけらかし、自分自身に酔っているネット右翼や営業右翼はある意味で反面教師とも言える。
実践の伴わない薄っぺらな請売りの主張では、世の中への警鐘どころか他人さえも、否、身内や友人さえも感化させたり、賛同させることも出来ないだろう。だが、同じ主張を繰り返し、教え続けることでその思想が自分のものとなって行く。
愚生の場合、倫理哲学者である西晋一郎が好きで彼是と参考にしブログのタイトルにも載せている。自分自身に酔っている訳でもないが、西先生の「教えるとは実に教えられることである」を肝に銘じ、今日もまたこうして書き綴っている。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
「人真似上手は個性を創造する」という様に、そうした言葉や文章を書き留めて、少しでもその尊敬する人や憧れの人物に近付ける様に努力することは大事なこと。
「日本とロシアは提携の必要性がある」などといった開国論を展開し、安政の大獄で斬首された越前福井藩士の橋本左内は、学問を学ぶ極意をこう訓えている。
「志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ、及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい」。日頃からの実践が後々の自分の身に成る。
右翼人にもいるが、よく読書の量を自慢している自称読書家を見かける。斯くいう愚生も、大学時代から政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々なジャンルの書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたのも事実(笑)
自称読書家曰く「読書は楽しい」と宣う。だが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でも好いし、落語や講談、歌舞伎などでも好いだろう。
本というものは、読まないよりは読んだ方が好いというくらいなのもので、橋本左内ではないが、感じ入った部分を何度も読んだり書き留めたり、その書いた文章を眺めたりして、自分の糧になる様に心に確りと刻み込むことこそ大事なこと。
勉強とか学ぶという基本的な在り方は、活眼を以て生きた本を読むことだ。ベストセラーなんぞ単なる暇潰しの様なもの。読んで学んで実践しなければ意味は無い。
常々、心眼を開いていれば「生きた学問」や参考書となるべきものは多く在る。「生きた学問」とか「耳学問」で一番好いのが、失敗に失敗を重ねた上で成功した人物の話であり、くだらん営業保守らの売文なんぞより学ぶことは実に多い。
保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、領土主権や国防論を尤もらしく語って、反中共やら反韓・反北朝鮮の脅威を煽って稼いでるだけ。保守を気取ってはいるが、尊皇精神に乏しく、保守したいのは現在の立場や生業だけ。
経営の実践も無い経営学教授然り、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。憲法学の教授なんてのは憲法擁護の左翼学者ばかりで、現憲法を生業にしている学匪ばかり。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず」というが、小人は学問を売り物にし耳から聞き齧った事をその儘に口にするので少しも身に付かない。未だ自分の口で話すだけ好いが、無言のリツイートは身に付かないどころか周りにとっては迷惑千万。
「小人の学は、耳より入りて口より入ず」との喩えは、愚生的には実に耳が痛いものを感じるが、繰り返して語ることで自分の思想になっていく場合も多い。「人真似上手は個性を創造する」というのも、繰り返すことの大切さを教えている。
自分の中に真の学問を積んでいる人は決してひけらかすことはなく、衒学臭くはないという。確かに新渡戸稲造の「武士道」でも衒学は一番嫌われると教えている。
武士道の一説に在る、「学問は他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかのか、或いはどう在るべきか、といったことに答えを見出すものでなくてはならないのである」とは、実に示唆に富んでいる。
学問とは本来自分自身の向上の為のものである。仲間にしか通用しない夥しいコピペをSNSに貼り付けたり無言リツイートしたり、付け焼き刃の知識をひけらかし、自分自身に酔っているネット右翼や営業右翼はある意味で反面教師とも言える。
実践の伴わない薄っぺらな請売りの主張では、世の中への警鐘どころか他人さえも、否、身内や友人さえも感化させたり、賛同させることも出来ないだろう。だが、同じ主張を繰り返し、教え続けることでその思想が自分のものとなって行く。
愚生の場合、倫理哲学者である西晋一郎が好きで彼是と参考にしブログのタイトルにも載せている。自分自身に酔っている訳でもないが、西先生の「教えるとは実に教えられることである」を肝に銘じ、今日もまたこうして書き綴っている。呵呵。
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cordial8317 at 06:13│Comments(0)
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