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2018年02月07日

2月7日の「北方領土の日」に政府や国会のやる気の無さが現れている

 本日2月7日は「北方領土の日」。地元紙のトップは女性週刊誌の様な秋篠宮真子内親王の御成婚に関する記事が踊っているだけで、新聞を見てもテレビのニュースでも、北方領土問題に関する記事は全く見当たらないのは何故だろう。

 抑々、2月7日が「北方領土の日」だと認識している国民はどれ程いるのだろう。北方領土は、「樺太・千島交換条約」及び「ポーツマス条約」の締結に拠って、南樺太と歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では日本共産党でさえ「全千島、南樺太の主権」を訴えている。この認識が正しく、国会で採択された「四島返還決議」の返還要求こそ事勿れ主義であり軟弱土下座外交そのものである。先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るのに四島のみの領有権主張を明記し、権利を放棄するとは理解に苦しむ。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。だが、日本政府としてではなく江戸幕府時代であり、下田での条約締結を四島返還論の論拠とするのは無理がある。

 歴史には続きがある。その後、江戸幕府を解体させ明治維新を成し遂げ、新政府を発足させた我が国は、明治8年(1875年)5月7日に「樺太・千島交換条約」を交わし、樺太の北側を千島列島と交換したことで、南樺太と全千島が日本に帰属した。

「北方領土の日」は2月7日より、旧ソ連が日ソ不可侵中立条約を蹂躙するに至った8月9日にしろとは言わない迄も、南樺太・全千島が国際法的に我が国に帰属した5月7日が相応しい。2月7日の北方領土の日に政府や国会のやる気の無さの現れである。

 北方領土問題解決には、北方領土に関する歴史的経緯と事実。更には領土主権の重要性を国民に分かり易く説明すべきだが、日本政府は4島に拘るが故に「日露和親条約」を論拠にし、御粗末で御座なりな返還運動を繰り返すばかり。

 日露和親条約ではなく「樺太・千島交換条約」並びに「ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する」とした「ポーツマス条約(日露講和条約)」を論拠に領土の主権を主張をすべきであって、四島のみの返還要求など言語道断。

 政府は昭和56(1981)年、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るという理由で2月7日を「北方領土の日」と制定したが、この2月7日こそまやかしの返還運動と断じざるを得ない。

 余談だが、国士舘大学在学中だった昭和56(1981)年2月7日、防共挺身隊の一員として「北方領土の日」を粉砕すべく霞ヶ関の式典会場に向かった。

 会場手前から隊列を組み押し入ろうとするも機動隊と揉み合いになった。当時は幟は竹竿で作ってあり、振り回すと竹竿が機動隊員に当る。数人が機動隊員に連れ去られるも、乱闘の末に隊員を奪還したことも今では懐かしい想い出である(笑)

 世界各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。我が国も、奪われたものは奪い返すことでしか解決を見ないことを自覚し、領土奪還の気概と覚悟を持つべし。

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cordial8317 at 06:40│Comments(0)

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