2017年12月27日
文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め
今年1月、須賀川市の中学1年の男子生徒が自殺した問題で、市の第三者委員会は「いじめが大きな一因となって自死を選択した」との調査結果を公表した。
関係者は「二度とこの様な悲しいことが起きない様に学校と教育委員会が一丸となって再発防止に務める」と御決まりの決意を述べる。男子生徒は同じクラスの男子9人から「菌がうつる」だとか揶揄われ、部活動でも人格を否定する様な名前を付けられ呼ばれていたことで、精神が滅入り、ストレスが溜まり自殺したという。
学校の対応の甘さを指摘しているが、子供の気持ちに寄り添えなかった親にも責任はあるし、何より自殺する勇気があるなら、何故にいじめた同級生に、喩え負けても構わないから反撃や報復すれば好かったのだ。。今は暴力は絶対悪として受け入れられることはない。況してや反撃や報復となれば逆に批判されかねない。
市側は学校の対応の甘さを指摘するが、いじめを糺そうといじめてた生徒にビンタでも食らわせたら、それこそ体罰だと騒がれて正義感溢れる教師が吊し上げられる。こうした社会の風潮、被害者よりも加害者側の人権を重んじるかの様な不正義が、いじめや犯罪が無くならない最大要因となっているのも確かだろう。
いじめというのは幾ら防止しても無くならないだろう。人間というのは強い者には巻かれるが、自分より弱い者と見るや虐めたくなるのは本能でもある。
昭和40年代後半辺りから続く教育の荒廃の元凶は日教組や全教というだけではなく、文科省や教育委員会の不作為と政治家の教育改革への無関心、そして戦後の幼稚な人権主義や暴力否定の安っぽい平和主義が少なからず影響を齎したのだ。
教育委員会というのは米国製である。戦後、日本の教育制度を米国の意の儘に置こうというのがその狙いだった。その戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けているが、そんな教育委員会制度に頼ったところで混乱を招くだけ。
文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め、中でも占領下に米国に謀られた教育委員会は早々に廃止すべき無用の長物である。教育委員会制度の廃止が教育改革に繋がり、延いてはいじめ問題解決にも繋がるだろう。
会津の「什(じゅう)の掟」には「卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」「弱い者を苛めてはなりませぬ」ということを訓えている。「什」とは数人の子供が集まり、色々なことを話し合った集団で、決まり事は子供自ら考えて実践した。
いじめというのは、いじめが卑怯なことや恥ずかしいものだという認識の欠落から行われているのが殆どで、大人が介入したところで解決は見ない。生徒自らが問題意識を以て話し合い、解決することが好い。子供達がこうしたいじめという卑しい行為に奔るのは、日本文化の喪失に起因してると言っても過言ではない。
戦後、教育という大本を忘れた政治家の怠慢と我々大人の責任。いじめで自殺した生徒も、意味も分からずいじめた側も戦後教育の被害者でもある。いじめられて自殺するくらいなら報復しなさい。反撃もやらないなら学校なんぞ行くな。
勉強なんてやる気があれば何処でも出来る。その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というのがあった。子供達は日本の宝。どんな出来の悪い子供であっても大人達が優しい目で、そして時には厳しく慈愛を持って見守ってやらねばならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
関係者は「二度とこの様な悲しいことが起きない様に学校と教育委員会が一丸となって再発防止に務める」と御決まりの決意を述べる。男子生徒は同じクラスの男子9人から「菌がうつる」だとか揶揄われ、部活動でも人格を否定する様な名前を付けられ呼ばれていたことで、精神が滅入り、ストレスが溜まり自殺したという。
学校の対応の甘さを指摘しているが、子供の気持ちに寄り添えなかった親にも責任はあるし、何より自殺する勇気があるなら、何故にいじめた同級生に、喩え負けても構わないから反撃や報復すれば好かったのだ。。今は暴力は絶対悪として受け入れられることはない。況してや反撃や報復となれば逆に批判されかねない。
市側は学校の対応の甘さを指摘するが、いじめを糺そうといじめてた生徒にビンタでも食らわせたら、それこそ体罰だと騒がれて正義感溢れる教師が吊し上げられる。こうした社会の風潮、被害者よりも加害者側の人権を重んじるかの様な不正義が、いじめや犯罪が無くならない最大要因となっているのも確かだろう。
いじめというのは幾ら防止しても無くならないだろう。人間というのは強い者には巻かれるが、自分より弱い者と見るや虐めたくなるのは本能でもある。
昭和40年代後半辺りから続く教育の荒廃の元凶は日教組や全教というだけではなく、文科省や教育委員会の不作為と政治家の教育改革への無関心、そして戦後の幼稚な人権主義や暴力否定の安っぽい平和主義が少なからず影響を齎したのだ。
教育委員会というのは米国製である。戦後、日本の教育制度を米国の意の儘に置こうというのがその狙いだった。その戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けているが、そんな教育委員会制度に頼ったところで混乱を招くだけ。
文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜め、中でも占領下に米国に謀られた教育委員会は早々に廃止すべき無用の長物である。教育委員会制度の廃止が教育改革に繋がり、延いてはいじめ問題解決にも繋がるだろう。
会津の「什(じゅう)の掟」には「卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」「弱い者を苛めてはなりませぬ」ということを訓えている。「什」とは数人の子供が集まり、色々なことを話し合った集団で、決まり事は子供自ら考えて実践した。
いじめというのは、いじめが卑怯なことや恥ずかしいものだという認識の欠落から行われているのが殆どで、大人が介入したところで解決は見ない。生徒自らが問題意識を以て話し合い、解決することが好い。子供達がこうしたいじめという卑しい行為に奔るのは、日本文化の喪失に起因してると言っても過言ではない。
戦後、教育という大本を忘れた政治家の怠慢と我々大人の責任。いじめで自殺した生徒も、意味も分からずいじめた側も戦後教育の被害者でもある。いじめられて自殺するくらいなら報復しなさい。反撃もやらないなら学校なんぞ行くな。
勉強なんてやる気があれば何処でも出来る。その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というのがあった。子供達は日本の宝。どんな出来の悪い子供であっても大人達が優しい目で、そして時には厳しく慈愛を持って見守ってやらねばならない。
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cordial8317 at 05:40│Comments(0)
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