2017年11月28日
優勝回数40回は確かに数字では立派だが名横綱には程遠い
大相撲九州場所は白鵬が優勝。張り差しか、かち上げばかりで勝負よりも勝ち星に拘った取り口で、優勝40回は立派だが相撲自体がホントつまらない。
嘉風との一番なんぞ自分から物言い。土俵下で不満げに抗議する姿は横綱としての品格はどうなのだろう。立行司・木村庄之助の軍配が返り「待ったなし!」、立ち合い後には「残った!」との声が相撲が成立したことを示している。
張り差しからまわしを取りに行くももろ差しを許す。その態勢が自分に不利だからと「待った!」をアピールするも負けは負け。その後は負け残りとなり土俵下で不貞腐れていた。ホント、横綱の品格は微塵も感じられなかった。
立行司というのは軍配も然ることながら、短刀を差して、軍配差し違えの場合は切腹する覚悟で臨んでいるのだ。そうしたことを知ってか知らずか、立行司への抗議は、立行司への尊敬すら持ち合わせてはいない証左だろう。
勝利者インタビューにしろ万歳三唱にしろ、白鵬は何か勘違いしてはいないか。横綱がこれだけ軽々しいのでは相撲人気は凋落の一途を辿るだろう。
相撲ファンの一人として、騒がれてる日馬富士問題にしろ、国技とは程遠くスポーツイベント化する相撲界に対して隔靴掻痒の感は拭えない。優勝回数や勝利数の記録では確かに白鵬は立派だが、名横綱かといえば未だ未だ未熟。
不世出の名横綱といえばやはり「双葉山」だろう。双葉山は強さに加え、美しさがあったと誰もが言って憚らない。土俵に上がったら無駄な動きはせず、どんな力士にも必ず受けて立った。所作そのものが美しく、横綱の威厳があった。
一度負けた相手には決して負けることがなかった。相手力士への研究は怠らず、その強烈な努力を垣間見ることが出来る。双葉山は、こうした受けて立つ相撲をきかれると「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べたことで、国民は初めて双葉山が隻眼(せきがん)だったことが分かった。
双葉山は明治45年生まれ、大分県宇佐郡天津村布津部出身。四股名は「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」から命名。「大成する人物というのは、往往にして幼い頃から人並み外れて優れたところがある」という喩えである。
6歳の時に友達と吹き矢で遊んでて、矢が右目に刺さり失明。少年時代には、父親の海運業の手伝いをしていた際に、錨の巻き上げ作業中に右手小指を潰してしまう。父の海運業が失敗し、知人の警察官の勧めで立浪部屋に入門することとなる。
右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に昇進した。連勝が止まった双葉山はその後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し再び連勝を重ねるものの、昭和20年8月15日、大東亜戦争の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意する。どれほど国を愛していたかが分かる。
勝星に拘り、横綱の名を穢し横綱の地位に縋る今の横綱らは、双葉山の様な潔さというのが決定的に欠けている。相撲はスポーツではなく国技である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
嘉風との一番なんぞ自分から物言い。土俵下で不満げに抗議する姿は横綱としての品格はどうなのだろう。立行司・木村庄之助の軍配が返り「待ったなし!」、立ち合い後には「残った!」との声が相撲が成立したことを示している。
張り差しからまわしを取りに行くももろ差しを許す。その態勢が自分に不利だからと「待った!」をアピールするも負けは負け。その後は負け残りとなり土俵下で不貞腐れていた。ホント、横綱の品格は微塵も感じられなかった。
立行司というのは軍配も然ることながら、短刀を差して、軍配差し違えの場合は切腹する覚悟で臨んでいるのだ。そうしたことを知ってか知らずか、立行司への抗議は、立行司への尊敬すら持ち合わせてはいない証左だろう。
勝利者インタビューにしろ万歳三唱にしろ、白鵬は何か勘違いしてはいないか。横綱がこれだけ軽々しいのでは相撲人気は凋落の一途を辿るだろう。
相撲ファンの一人として、騒がれてる日馬富士問題にしろ、国技とは程遠くスポーツイベント化する相撲界に対して隔靴掻痒の感は拭えない。優勝回数や勝利数の記録では確かに白鵬は立派だが、名横綱かといえば未だ未だ未熟。
不世出の名横綱といえばやはり「双葉山」だろう。双葉山は強さに加え、美しさがあったと誰もが言って憚らない。土俵に上がったら無駄な動きはせず、どんな力士にも必ず受けて立った。所作そのものが美しく、横綱の威厳があった。
一度負けた相手には決して負けることがなかった。相手力士への研究は怠らず、その強烈な努力を垣間見ることが出来る。双葉山は、こうした受けて立つ相撲をきかれると「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べたことで、国民は初めて双葉山が隻眼(せきがん)だったことが分かった。
双葉山は明治45年生まれ、大分県宇佐郡天津村布津部出身。四股名は「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」から命名。「大成する人物というのは、往往にして幼い頃から人並み外れて優れたところがある」という喩えである。
6歳の時に友達と吹き矢で遊んでて、矢が右目に刺さり失明。少年時代には、父親の海運業の手伝いをしていた際に、錨の巻き上げ作業中に右手小指を潰してしまう。父の海運業が失敗し、知人の警察官の勧めで立浪部屋に入門することとなる。
右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に昇進した。連勝が止まった双葉山はその後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し再び連勝を重ねるものの、昭和20年8月15日、大東亜戦争の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意する。どれほど国を愛していたかが分かる。
勝星に拘り、横綱の名を穢し横綱の地位に縋る今の横綱らは、双葉山の様な潔さというのが決定的に欠けている。相撲はスポーツではなく国技である。
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cordial8317 at 06:30│Comments(0)
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