2023年11月08日
昭和19年11月8日、神風特別攻撃隊に続いて回天特攻が実戦に投入された
昭和19年11月8日、神風特別攻撃隊に続いて回天特攻が実戦に投入されることとなる。祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は正に祖国愛の極致である。
「回天(かいてん)」とは、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、日本軍初の特攻兵器である。特攻艇の搭乗員の多くは、航空隊員であった学徒兵や予科練習生などが中心だった。出撃すれば生きて還ることはなく必中を期す。
11月8日未明、「菊水隊」の12基が、山口県の大津島基地から敵主力基地が在る西カロリン諸島のウルシー泊地とパラオに停泊中の敵艦隊の撃沈を目指して出撃。
回天は搭乗員1名が魚雷を操縦。小型の合板製高速モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する特攻艇「震洋」もあった。
特攻作戦では神風特別攻撃隊を始め、様々な作戦に拠って3972名もの若者が尊い命を捧げている。その実に76%の3017名が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名。
特攻作戦は航空だけではなく、「特殊潜航艇」「回天魚雷」「空挺特攻」「対戦車特攻」「震洋特攻艇」「陸軍海上特攻」など劣勢を覆す為の特攻作戦を実行。
こうした特攻作戦で実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げたのである。現在の我が国の平和や繁栄は、あの国難の時代に生きた純真無垢な若者の気持ちを思えば怠惰には生きられない。尊い犠牲の上に今がことを決して忘れてはならない。
戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動するも敵軍の攻勢は止むことはなかった。
沖縄戦に出撃した戦艦大和は、沖縄沖で米軍への砲撃戦を行う予定であっが、出撃後の4月7日、惜しくも鹿児島沖の海に沈んだ。大和の船内には歯磨き粉や歯ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。
こうした事実は、大和は連合軍の沖縄上陸阻止という戦いだけではなく、沖縄の領土と沖縄の人々を必死に護ろうとした何よりの証しである。「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日、組織的沖縄戦が終結した。
沖縄では未だに米軍の行った自虐史観の洗脳から覚めずに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、いい加減、歴史の事実に目を向けたらどうだろう。
回天を四基搭載した「伊三七潜」が、爆雷に由って悲惨な最期を遂げ、日本軍約1万1千人が玉砕したパラオに、2015年5月、天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされた。
散華された護国の御霊を鎮められたことは、特攻作戦を始め、南洋のパラオで草生す屍となった英霊と遺族にとっての感激と光栄これに優るものはなかった。
もう10年以上前になるが、戦跡慰霊を兼ね九州を放浪したことがあった。長崎県佐世保在住の上田崇仁先輩の車で諫早へ向かう途中、南方からの引き揚げ者が降り立ったという川棚町南風港に立ち寄り、出撃した回天特攻の慰霊碑に首を垂れた。
鹿児島県の万世、知覧の特攻平和記念館を訪れ英霊に感謝の誠を捧げ、宮崎では回天特攻の訓練地だった南郷湾内の慰霊碑に立ち寄ったのを思い出す。慰霊碑から望む湾の光景を忘れることはない。〈この涙悲しく 留まりて零るることなし〉。合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「回天(かいてん)」とは、太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、日本軍初の特攻兵器である。特攻艇の搭乗員の多くは、航空隊員であった学徒兵や予科練習生などが中心だった。出撃すれば生きて還ることはなく必中を期す。
11月8日未明、「菊水隊」の12基が、山口県の大津島基地から敵主力基地が在る西カロリン諸島のウルシー泊地とパラオに停泊中の敵艦隊の撃沈を目指して出撃。
回天は搭乗員1名が魚雷を操縦。小型の合板製高速モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する特攻艇「震洋」もあった。
特攻作戦では神風特別攻撃隊を始め、様々な作戦に拠って3972名もの若者が尊い命を捧げている。その実に76%の3017名が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名が、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名。
特攻作戦は航空だけではなく、「特殊潜航艇」「回天魚雷」「空挺特攻」「対戦車特攻」「震洋特攻艇」「陸軍海上特攻」など劣勢を覆す為の特攻作戦を実行。
こうした特攻作戦で実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げたのである。現在の我が国の平和や繁栄は、あの国難の時代に生きた純真無垢な若者の気持ちを思えば怠惰には生きられない。尊い犠牲の上に今がことを決して忘れてはならない。
戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動するも敵軍の攻勢は止むことはなかった。
沖縄戦に出撃した戦艦大和は、沖縄沖で米軍への砲撃戦を行う予定であっが、出撃後の4月7日、惜しくも鹿児島沖の海に沈んだ。大和の船内には歯磨き粉や歯ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。
こうした事実は、大和は連合軍の沖縄上陸阻止という戦いだけではなく、沖縄の領土と沖縄の人々を必死に護ろうとした何よりの証しである。「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日、組織的沖縄戦が終結した。
沖縄では未だに米軍の行った自虐史観の洗脳から覚めずに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、いい加減、歴史の事実に目を向けたらどうだろう。
回天を四基搭載した「伊三七潜」が、爆雷に由って悲惨な最期を遂げ、日本軍約1万1千人が玉砕したパラオに、2015年5月、天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされた。
散華された護国の御霊を鎮められたことは、特攻作戦を始め、南洋のパラオで草生す屍となった英霊と遺族にとっての感激と光栄これに優るものはなかった。
もう10年以上前になるが、戦跡慰霊を兼ね九州を放浪したことがあった。長崎県佐世保在住の上田崇仁先輩の車で諫早へ向かう途中、南方からの引き揚げ者が降り立ったという川棚町南風港に立ち寄り、出撃した回天特攻の慰霊碑に首を垂れた。
鹿児島県の万世、知覧の特攻平和記念館を訪れ英霊に感謝の誠を捧げ、宮崎では回天特攻の訓練地だった南郷湾内の慰霊碑に立ち寄ったのを思い出す。慰霊碑から望む湾の光景を忘れることはない。〈この涙悲しく 留まりて零るることなし〉。合掌。
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cordial8317 at 05:20│Comments(0)
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