神嘗祭に日本人としての「農」を考えてみよう!超党派の議員で「靖國神社法案」を再提出し靖國議論に終止符を打て!

2021年10月18日

創価学会や共産党が地元の祭りにも参加しない理由

 毎年、秋祭り真っ盛りの地元に帰省して故郷の友人らとの一献が楽しみだったが、新型コロナでそれも叶わない。町内を山車や神輿が繰り出す姿が懐かしい。祭りに興ずる人も、それを観る人々も、心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある。

 普段、神様や仏様と縁も所縁もない様な自堕落な生活をしていながらも、多くの日本人は年末の除夜の鐘に感じ入り、正月には初詣に行き、結婚するとなれば神前でその生涯を誓い合い、死んだとなれば仏式で弔いをする人が殆どだろう。

 日本人にとって「宗教」とは、信じるとか信じないとかいう以前に生活に密着したものとなっている。祭りも「神道」の教え云々以前に、単なるレクリエーションの様なものになってしまっているが、神道の大らかさとはそういうことでもある。

 地元の祭りというのは住民の団結力が深まり、また祭りは、若者らにとって礼儀作法や長幼の序などを学ぶ場となる。仲間と酒を酌み交わし、日頃の憂さを晴らすかの様に本能の儘に祭りに興じれば、神との繋がりを実感することだろう。

 だが、その反面、神社とはどんな存在なのか、氏神や創建の歴史さえ知らない。二礼二拍手一礼という参拝方法を知ってはいるが、最後の一礼の際に手を合わせて祈る人を多く見かけるが、手は合わせないで頭を垂れ感謝の真を捧げるのが作法。

 こうしたことは、神道(神社)では布教活動をしないところに原因があるのだろうが、神主や禰宜(ねぎ)の努力の足りなさでもある。神主や禰宜らも葬式仏教に奔る坊主らと同じ様く単なる生業程度に思っているのだとしたら情けないことだ。

 神主や禰宜ら祭りの際には重宝がられるがそれ以外は存在感も無い。本来なら日頃から「坊主の説教」ではないが、地元の神社の謂れや神道での作法の重要さを先ず教え、啓蒙することは大事なことだが。田舎の禰宜は兼業故に本気さに乏しい。

 祭りでは、神輿(御神体)を上から覗く行為は禁止されているが、今はその意味を知らずに平気で二階などの高みから祭りの光景を眺めたりしている人も見かける。

 御神酒も神道での禊の一つではあるが、酒を呑んで酔っ払うわ、手水舎などで禊もしない穢れた身体で神輿を担ぐなどとは愚の骨頂である。三社祭で刺青を見せびらかして神輿の上に乗り、御神体に尻を向けるなどは神への冒涜そのものだ。

 最近では女性の神輿が流行りだが余り感心はしない。担いでいる神輿はイミテーションだから神様への冒涜ではないというが、要は祭りをイベント化してしまって騒ぎたいだけ。祭り(祀り)の本来の意味が失われつつあるのは間違いない。

 序でに言わせて貰えば、女性には生理がある。生理中、女性というのは情緒不安定になる。そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のことでもあるし、生理は「穢れ」でもある。女性の神輿を見る度に生理ではないのかなと疑ってしまう(笑)

 皇室の神事の一つ「皇霊祭」では生理中の女性皇族は参加出来ない。こうした事実をして、左翼や反天皇勢力から「生理は汚らわしいものではない。女性蔑視だ」という反論が聞こえて来るのだが、これは何も皇室だけの例外ではない。

 例えば、イスラム教では生理中の女性はモスク(イスラム教の礼拝所)には入れない。バレたら殺される場合もある。ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。これは女性差別ではなく、長い歴史と伝統の中で培った教えである。

 それなら聞くが、歴代ローマ法王には女性はいないし、法王どころか法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。これも女性蔑視か。日頃「レディーファースト」と自慢してる国でもそういうもので、伝統を守るというのはそういうことでもある。

 我が国の126代に亘る天皇の歴史の中で8人10代の女性天皇は存在したし、抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。女房を「山の神」ともいうが、かみさん=神さんであり、それに仕えるのはやはり女より男の方が好ましい(笑)

「女系天皇」や「女性宮家」は女性差別やジェンダー平等を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは物事の見方が実に薄っぺらいものばかり。

 故郷の祭りを観てて考えたことは、創価学会(公明党)は祭りには参加しないし、共産党も協力的ではない。神主の最高の地位に就くのが天皇である限り祭りなんぞに参加しないという覚悟は、ある意味、信心深さと潔さを感じなくもない。

 その点、社民党はどうか。国旗国歌に敵愾心を燃やし、沖縄訪問をした当時の皇太子殿下並びに妃殿下に対して火炎瓶を投擲した国賊や、沖縄国体開会式で国旗を引き摺り下ろした輩が英雄視され、彼奴等が議員出馬した際には、推薦人に福島瑞穂などが名を連ねていたりと、反天皇でありながらそれを隠して祭りに講じる。

 立憲民主党には辻本清美を筆頭に反天皇活動家は多い。公明党や共産党の様に徹底して「天皇が嫌いだから祭りにも参加しない」という覚悟は無く、選挙目当てで祭りに参加するとはえげつない。だが、立憲民主党員だろうが、社会党支持者や共産党支持者だろうが、祭りに講じてる姿は神道の大らかさの現われでもある。呵呵大笑。

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