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2017年09月25日

朝鮮人難民への対策は「警察で対応するのか、自衛隊か、防衛出動か、射殺か」

 麻生太郎が宇都宮市内で講演し、朝鮮半島で有事が勃発すれば朝鮮半島から大量の朝鮮人難民が日本に押し寄せる可能性に触れた上でこう述べた。

「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」。ここで麻生は大事な事を示唆している。

 昭和43(1968)年10月21日の「国際反戦デー」に左翼活動家らは大衆を扇動し「新宿騒乱」と言われる事件を起こした。本来であれば、自衛隊が出動し暴徒らを鎮圧すれば好かったものを、政府は躊躇し、警察による鎮圧を選んだ。これに因って自衛隊が、警察の下に位置する存在となってしまった象徴的な事件だった。

 三島由紀夫は、自衛隊市谷駐屯地自裁する際に携行した「檄」の中で、「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破したのはこの新宿騒乱の結果を憂いてのことである。

「警察で対応するのか、自衛隊か、防衛出動か、射殺か」という麻生の言葉は、乱暴ではあるが、我が国の危機管理の本質を揶揄してのものであろう。

 麻生は、「向こうから日本に難民が押し寄せてくる。動力のないボートだって潮流に乗って間違いなく漂着する。10万人単位をどこに収容するのか」と指摘し、「向こうは武装しているかもしれない」とした上で「防衛出動」にも言及した。

「防衛出動」は、我が国が直接攻撃を受けるか、その明白な危険が切迫している「武力攻撃事態」などの際に認められてはいるが、難民対応や武装難民によるテロ行為などは想定していない。これを朝日新聞は「射殺」ばかりを大袈裟に語る。

 事の本質を捻じ曲げ、「防衛出動」を都合好く解釈してるが、「真剣に考えなければならない」との麻生の発言は余りにも当たり前のことではないだろうか。

 国家の防衛を否定してるのは現憲法だけではなく、未だ未だ我が国の危機管理の法整備は未熟なのだ。これらを喫緊に見直すことに何を憚る必要があろうか。

 昭和25(1950)年6月、朝鮮戦争が勃発すると半島から朝鮮人が押し寄せて居付いた。当時は難民という認識は無かったし、人道的な立場から受け容れたが、現在では武装難民によるテロなども考えなければならず、憲法前文の諸国民の公正と信義を信頼し、また近隣諸国条項を重んじて国が滅んだら元も子もない。

 ダチョウというのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ないようにして危機から逃れたつもりになるという。欧米諸国は、日本に対して「オストリッチ・ファッション」と嘲ってるらしいが、嗤えないジョークでもある。

 要は、戦後の平和ボケから安っぽい平和主義に浸り、「軍事」「戦争」「憲法改正」と言った途端に思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だとすれば、朝日新聞こそ正しく欧米が揶揄するオストリッチ・ファッションの最たるものだろう(苦笑)

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cordial8317 at 04:32│Comments(0)

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