「取り敢えず憲法改正」するくらいならやらない方がマシ「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり国が援助するのは当然だ」という甘え

2017年09月16日

正座が体罰なら座禅をさせて瞑想させたら如何か(笑)

 南会津地方に在るレスリングなどの強豪校でもある県立田島高校で、体育の授業中に生徒指導の一環で生徒30人に対し正座をさせたことが問題だとして、同校が生徒と保護者に謝罪したという記事を目にした。え~いつから正座が問題になったの。

 同校の校長は、「(正座が)不適切な行為であることは間違いない。教育指導を徹底したい」というが、本来ならば校長は生徒は当然のこと教員も擁護する立場であり、この恐らくは退職間近な校長は保身から教育委員会に阿ているだけ。

 愚生は剣道部だったが、稽古前や稽古が終わった後には瞑想して、その日の稽古を自分自身で考えるという時間を設けていた。葬式でも、今は椅子席だが、正座は禅宗では修行であって、修行だからこそ人格形成に役立つのである。

 何やら、教育委員会の基準では「長時間の正座は体罰」としているらしい。今回の喩え15分の正座でも、然も「痺れたら足を崩して好い」と語り、実際に10人ほどが足を崩していたとしても体罰になるというから恐れ入る。

 こうしたくだらない問題が起こると、教育委員会が登場することで余計ややこしくなるし、問題が解決した験しはない。教育委員会や日教組やマスコミは「体罰=暴力」と決めつけているが、抑々、「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「体罰」は子供に善悪を躾けることが目的であるのだから「暴力」とは言わない。

 私的感情で利害が在る行為が「暴力」であり、この教諭が指導した正座が私的感情による暴力だとも思えない。 戦後、日本では子供を褒めなければダメ、叱ったり、殴ったりすることはケシカラン、体罰はダメという考えが支配的になった。

「褒める教育」というものは、日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」などと謳ったところから始まったものだ。非行を繰り返す不良生徒やその親を批判せず、その生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、現場から排除されてきた。

 これこそが「学級崩壊」や「教育荒廃」の元凶でもあった。「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けるが「体罰」という「愛」も子供の理性や本能を正しく鍛え揚げるということを親や教師、そして教育委員会は知るべきだ。

 昨今、教師も親も社会全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、子供らも厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しい。

 チョットしたことで挫折するし、逆境に弱い子供が多い。日本を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代だ。つまり、戦後の教育が間違っていたということだが何故か反省もしない。

「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」であって、人間と動物の優劣性を強調する余り、動物にも在る「本能」を下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いているし、これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であり、徳育とは忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 日本の教育再生の為には先ず「正しい精神論」を創ることこそ肝要であり、正座によって精神教育を施そうとしたこの教諭は立派な教育者だと思うが、そうした芽を摘んでしまうのが教育委員会でもある。教育委員会の存在は正に百害あって一利なし。

 日本国憲法同様、この米国製の教育委員会の解体なくして教育の再生はない。仏教の中心的修行の一つに「座禅」がある。禅宗に於いては根幹を成す修行である。教育委員会の連中に座禅させて悟らせないと教育の再生は図れないな。呵呵大笑。

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cordial8317 at 05:43│Comments(0)

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