ビンラディンやフセインを殺害した様に掃討作戦をやれば好いのに(笑)ベートーヴェンの交響曲第九番が日本で初めて演奏されてから百周年

2017年09月07日

第二次世界大戦前の我が国は正にテロとの戦いの連続だった

「国連」とは第二次世界大戦での「戦勝国」である。国連設立の趣旨は「国際連盟が、第二次世界大戦を防ぐことが出来なかっことへの反省」としているが、この「防ぐことが出来なかった」というのは果たして歴史的に見て真実なのだろうか。

 第二次世界大戦について、歴史家の多くは1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻が始まりだとしているが、1939年8月13日の「上海での中国軍の因る日本海軍への全面戦争こそ第二次世界大戦の始まり」との認識を示している歴史家もいる。

 中国軍と日本海軍との戦争と、「満州事変」「支那事変(日中戦争)」は明確に別な戦争であり、所謂「十五年戦争」と一線を画して論ずるべきだが、何故か歴史家は上海での戦争を語らない。 1936年以来、中国側は「抗日全面戦争」への意思が明確だったが、他方、日本側は一貫して「不拡大方針」を堅持していた。

 国際条約上の権利の下に上海に駐留していた僅か2500人の日本軍の海軍特別陸戦隊に対し、約10万人(12万人とも)以上の中国軍の攻撃で戦争が開始された日が「第二次世界大戦の始まり」とする主張の方が歴史的に見ても正鵠を射ている。

「満州事変」は、昭和6(1931)年9月18日に柳条湖事変が勃発し、これが引き金となり「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが我が国の歴史的認識である。

「柳条湖事変」に至るまでの中村大尉殺害、万宝山事件と呼ばれる朝鮮人農民と支那人農民の衝突事件他、日本人に対する無数のテロ事件があったことを無視してはならない。正に、第二次世界大戦前の我が国はテロとの戦いだったのだ。

 米国は常々、イスラム諸国とのテロとの戦いを然も正義であるかの様に振り翳して、テロの根絶を口にするが、ならば、先の大戦前の我が国が、中国共産党を始めとしたゲリラに因るテロとの戦いも同じく正義だったのではないのか。

 上海でも日本人保護の為に合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人を動員し一方的に攻撃を仕掛けたことで戦争は本格化したが、何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく中国共産党というのが正しい。

 戦争勃発前は果たしてどういう状況だったかというと、支那の新聞の大勢は「対日主戦論」が幅を利かせていたことは言うまでもない。当時の主戦論には過激な知識人を始め、学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが扇動した。

 中国共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に、共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていたことは歴史的事実で、これは現在も引き継がれている。

 昭和6年(1931年)11月、江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国が、毛沢東の名に因り日本に対して宣戦を布告している。 何時、何処で日本への攻撃が起っても不思議ではない状況の下で昭和12年(1937年)7月7日に事件が起ったのだ。

 昭和12(1937)年7月7日の盧溝橋事件から始まった支那事変も、盧溝橋で日本軍を攻撃してきたのは中国共産党というのは今や歴史的事実である。我が国は「北京議定書」に基き、在留邦人保護の為に軍隊駐屯であって侵略とは言わない。

 実は、中国共産党にとって当時の状況は深刻であり、中華民国西安で起きた、張学良・楊虎城らが蔣介石を拉致監禁した「西安事件」に因り、蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党と協力関係を作ることを約束し、共同抗日と国共合作が促された。

 然しその後、蒋介石は中国共産党に対し次々に厳しい条件を突き付けた。この窮地に大博打を打って出たのが毛沢東だった。国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に反日を煽り、それに紛れて7月7日22時40分に発砲事件を惹起した。

 発砲事件の翌8日、中国共産党は中央委員会名で蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信。だが、日本軍が反撃を開始したのは8日午前5時30分だった。

 当時の通信事情からしても8日に初めて反撃されたのに、8日に公式電報を作成し発信することなど絶対的に不可能であることは明らかだろう。その証拠がある。

 支那派遣軍情報部北平(北京)支部長の秋富大佐は、盧溝橋事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学の構内と思われる通信所から延安の中国共産党軍司令部の通信所に、緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受している。

 そこには「成功した」と、3回連続反復送信していた。これが何を意味するものか解らなかったとが、今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠とされている。つまり、謀略が成功したことを延安に報告し、延安では電文作りが行われたのだ。

 盧溝橋での一発の発砲が、何故に大事件に繋がったのか。それには、それまでの無数のテロ事件と通州事件、大山中尉殺害事件を知らずしては語れまい。

 中でも、盧溝橋事件の約3週間後の7月29日未明に起こった通州事件では日本人が極めて残虐な方法で殺されており、日本が憤激するのは当然のことだった。

 国連設立の趣旨の「国際連盟が第二次世界大戦を防ぐことが出来なかっことへの反省」という、この「防ぐことが出来なかった」というのは戦勝国に因る詭弁だ。

 敗戦国である我が国が常任理事国になれる可能性は限りなく低い。こんな不正義が罷り通る国連なんぞ、北朝鮮と一緒に脱退してしまえ。呵呵大笑。

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cordial8317 at 04:45│Comments(0)

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