2021年08月18日
占守島の戦いや南樺太での悲劇は決して忘れてはならない歴史である
ポツダム宣言受諾後の昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、千島列島最東端の占守島(しゅむしゅとう)の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。
占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだが、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じこの地での戦闘が終結した。その3日後には日本軍が武装解除を終えソ連の配下に下がった。
この占守島での戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があった。
この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てが不当にもシベリアに強制連行されることとなった。
ポツダム宣言終了後のこの不正義な戦いを勇敢に戦った日本軍の兵士達は、ソ連軍に因るこうした理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容したのだった。
ソ連は、その他の地域からも軍人、軍属、そして一般人を含む80万人以上をシベリアへ強制連行し、多くの同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。
シベリヤに抑留された日本人同胞は約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多い。ロシア側の資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされているのに60万人とは正に弱腰外交の極み。
シベリア抑留された日本人同胞は実際にどれ程に上るのか、餓死や凍死した人数はどれほどだったのか、正式な被害者数を調査しなければならない。
東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行した米国もそうだが、東京大空襲などの非戦闘員の殺戮もシベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国だからといってこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。
況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行やポツダム宣言受諾後の侵略も同じく断罪されなくてはならないが、ソ連軍の行動は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。
1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。
ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められ、ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は国際法規を破棄し対日参戦の実行を謀った。
アジア近代史を紐解く上でも、米英の対日参戦の経緯やソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなくてはならない。
米英ソの不当性が明らかになれば、我が国の「悪玉論」も根底から覆ることだろう。 占守島での戦いや南樺太での悲劇は決して忘れてはならない歴史である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージ、御意見・御感想などは mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!
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占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだが、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じこの地での戦闘が終結した。その3日後には日本軍が武装解除を終えソ連の配下に下がった。
この占守島での戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があった。
この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てが不当にもシベリアに強制連行されることとなった。
ポツダム宣言終了後のこの不正義な戦いを勇敢に戦った日本軍の兵士達は、ソ連軍に因るこうした理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容したのだった。
ソ連は、その他の地域からも軍人、軍属、そして一般人を含む80万人以上をシベリアへ強制連行し、多くの同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。
シベリヤに抑留された日本人同胞は約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多い。ロシア側の資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされているのに60万人とは正に弱腰外交の極み。
シベリア抑留された日本人同胞は実際にどれ程に上るのか、餓死や凍死した人数はどれほどだったのか、正式な被害者数を調査しなければならない。
東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行した米国もそうだが、東京大空襲などの非戦闘員の殺戮もシベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国だからといってこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。
況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行やポツダム宣言受諾後の侵略も同じく断罪されなくてはならないが、ソ連軍の行動は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。
1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。
ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められ、ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は国際法規を破棄し対日参戦の実行を謀った。
アジア近代史を紐解く上でも、米英の対日参戦の経緯やソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなくてはならない。
米英ソの不当性が明らかになれば、我が国の「悪玉論」も根底から覆ることだろう。 占守島での戦いや南樺太での悲劇は決して忘れてはならない歴史である。
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cordial8317 at 05:48│Comments(0)
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