心の呵責なしに核兵器を造り有する資格があるのは広島・長崎の悲惨さを知る我が国以外にない何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのか

2023年08月09日

「悲憤慟哭民族痛恨の日」昭和20年8月9日を忘れるな!

 米国は、6日の広島に続き9日にも原爆投下を実行する。投下予定地は九州小倉だった。だが、当日の小倉の天気が悪く、変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では実験データの撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。

「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だった。だが、米国は二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があった。広島と長崎に落とした原爆は種類が違う。広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。この二つのデータ取集である。

 原子爆弾開発プロジェクトのコードネームである「マンハッタン計画」に因って、莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその成果を証明する必要があった。

 エノラゲイから投下される原爆投下の一部始終撮影し、実験データを詳細に記録している。我が国を占領した米国は、日本人に戦後民主主義教育を徹底し、ハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる様に日本人を仕立てて洗脳した。

 一方で、ソビエトは長崎に原爆が投下される9日未明、「日ソ不可侵中立条約」を破棄するとソ満国境を越え、南樺太に攻め入り鬼畜の如き所業を繰り返した。

 昭和31(1956)年、日本共産党中央委員会宣伝教育調査部が編集した「日本共産党の政策」というものがある。その中で、「ソヴエトは終戦間際に参戦して火事ドロ式にうまいことをやったという人がいますが、ソヴエトが参戦したため、平和が回復され、日本が焦土とならずにすんだのです・・・」との驚くべき記述がある。

 この思想的次元が日本共産党の本質を露呈している。そのソヴエト(ソ連)の参戦こそが大問題ではないか。何が「日本が焦土とならずに済んだ」だ。未だに革命謀略を目指し、国民を誑かし続ける日本共産党は日本にとって悪害でしかない。

 原水爆禁止世界大会では、自称・平和屋らは米国の原爆投下を執拗に糾弾する。原爆投下を直ちに是認出来るものではないが、米国と我が国とは国の威信と生死を賭けて戦っていたのであり、新しい兵器の開発と使用に三分の理を認めざるを得ない。

 然るに、ソ連はどうか。我が国との間には厳然とした国際条約である「日ソ中立条約」が締結されており、領土の保全と不可侵、そして中立が固く約束されていた。戦況が悪化していた日本にとって不可侵条約は講和への拠所でもあったのだ。

 長崎に原爆投下された昭和20年8月9日、ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始。日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、我が国固有の領土である南樺太、全千島列島、北方四島が強奪された。

 このソ連の蛮行に対し、政府もマスコミも自称・平和屋も責めたことはない。何が「平和団体」か。「原水爆禁止世界大会」という仰々しい名前の大会を主宰する「原水協」や「原水禁」ら、似非「平和屋」どもは、米国の原爆投下は執拗に糾弾すれども、ソ連共産党に忠誠を誓うが如く蛮行には沈黙を続ける。実に分かり易い。

 連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽り日米離間を謀り、党勢拡大に利用しているだけに過ぎない。それでも彼らが厚顔にも「平和団体」を自任するならば、米国や国内だけではなく、ロシアや中国共産党に対し、或いは北朝鮮やインドなどの核保有国にも物申すべきではないのか。  

 鬼畜の如き蛮行で亡くなった日本人同胞は、広島・長崎の原爆投下で亡くなった方々を遥かに超え、戦後にシベリヤに不当に抑留され、極寒の地で餓死・凍死した方々も数え切れない。ソ連軍の残虐非道、鬼畜の行為は、ポツダム宣言を受諾した後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となっている。

 同年8月20日には、樺太真岡郵便局の女子郵便局員・伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げている。

 日ソ中立条約を蹂躙し、ソ満国境を越え、また南樺太に於いてのソ連兵に因る鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に、生々しく書かれている。

「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・。ソ連進駐と共に市街の様は一変し、ソ連兵市内を横行し略奪を縦(ほしいまま)にして、9月1日女32名を監禁し、若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し、然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」

 千島列島の最北端の占守島では、米軍の侵略に備えていた。8月18日の早暁午前1時頃、日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸する。ポツダム宣言受諾で武装解除準備を始めていた日本軍守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島の戦いは日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。その後、占守島の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士や民間人全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 シベリアに抑留された日本人は日本国内では約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人と言われている。未だ我が国政府は情けないことに、こうした問題を世界の国々に提起し、その真相を明らかにしようともしない。

 米国の原爆投下と無差別爆撃、ソ連の卑劣極まる蛮行こそ「平和に対する罪」であり、「人道に対する罪」である。昭和20年8月9日を以て、ソビエト共産党に因って残虐行為と不法行為が公然と行われたのだ。正に8月9日とは、平和な現代を生きる我ら日本人にとって決して忘れてはならない悲憤慟哭民族痛恨の日なのである。

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cordial8317 at 05:35│Comments(0)

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