2022年05月27日
「海軍記念日」の5月27日という日は様々な想いが去来する
本日5月27日は「海軍記念日」。明治38(1905)年の今日、ロシアとの「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊が、当時世界最強といわれたバルチック艦隊を撃滅し奇跡的大勝利を収めた日を記念して創られた日である。
日露戦争での我が国の勝利は、欧米列強に日本という国の地位を認めさせることとなり、明治維新の真の目的であった江戸幕府が諸外国と結んだ「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになった。
「治外法権」は日清戦争後に克服したが、懸案であった「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を回復することが出来たのある。
有色人種の我が国が日露戦争で勝ったことで、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは言うまでもない。
日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、白人欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、そして民族独立への夢を駆り立てたことだろう。
日露戦争での我が国の奇跡的勝利は、世界の有色民族にとってもこの戦争での勝利は誠に大きな意義を持つものだった。そうした先人の努力と苦労の上に、現在のこの日本国が成り立っていることを現代を生きる我々は決して忘れてはならない。
また、5月27日は亡き父の命日でもある。父は昭和3年生まれ。成績優秀ながら家庭は赤貧で進学など出来るものではなく、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で大日本帝国海軍軍人としての人生が始まった。
横須賀の後、茨城県土浦の予科練を経て終戦を迎えた。その後、想い出の地である神奈川県相模原の地(現大和市)で故郷の友人と共に土建業に従事し、資金を貯めて、故郷の小浜(現二本松市)に帰還し「相模屋衣料店」を起業した。
屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かる。その後、政治に興味が湧き町会議員などに関わったのが悪いのか、それとも親父の放蕩のせいか多額の借金を背負うこととなった(笑)
当時の金で、数千万という金額にもめげず、どこから聞き齧って来たのか、「これからはカ(カレー)・ソ(ソバ)・ラ(ラーメン)時代らしいよ」と、当時は珍しかったラーメンを提供しようと衣料店から「相模屋食堂」を開店することに。
因みに、親父はラーメン修行はしていない。開店を決めると、二本松市の製麺所の社長にラーメンの作り方を聞いだけ。店を改装し道具を揃え、練習もそこそこに一週間後には店を始めたというからその度胸とセンスは驚くしかない(笑)
今思えば破天荒なオヤジだった。今思えば、20代での起業のことや軍隊時代の思い出を詳しく聞かなかったのが返す返すも悔やまれる。海軍軍人で、何事にも厳しかった父が海軍記念日でもある5月27日に逝った。南無大師遍照金剛。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
日露戦争での我が国の勝利は、欧米列強に日本という国の地位を認めさせることとなり、明治維新の真の目的であった江戸幕府が諸外国と結んだ「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになった。
「治外法権」は日清戦争後に克服したが、懸案であった「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を回復することが出来たのある。
有色人種の我が国が日露戦争で勝ったことで、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは言うまでもない。
日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、白人欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、そして民族独立への夢を駆り立てたことだろう。
日露戦争での我が国の奇跡的勝利は、世界の有色民族にとってもこの戦争での勝利は誠に大きな意義を持つものだった。そうした先人の努力と苦労の上に、現在のこの日本国が成り立っていることを現代を生きる我々は決して忘れてはならない。
また、5月27日は亡き父の命日でもある。父は昭和3年生まれ。成績優秀ながら家庭は赤貧で進学など出来るものではなく、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で大日本帝国海軍軍人としての人生が始まった。
横須賀の後、茨城県土浦の予科練を経て終戦を迎えた。その後、想い出の地である神奈川県相模原の地(現大和市)で故郷の友人と共に土建業に従事し、資金を貯めて、故郷の小浜(現二本松市)に帰還し「相模屋衣料店」を起業した。
屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かる。その後、政治に興味が湧き町会議員などに関わったのが悪いのか、それとも親父の放蕩のせいか多額の借金を背負うこととなった(笑)
当時の金で、数千万という金額にもめげず、どこから聞き齧って来たのか、「これからはカ(カレー)・ソ(ソバ)・ラ(ラーメン)時代らしいよ」と、当時は珍しかったラーメンを提供しようと衣料店から「相模屋食堂」を開店することに。
因みに、親父はラーメン修行はしていない。開店を決めると、二本松市の製麺所の社長にラーメンの作り方を聞いだけ。店を改装し道具を揃え、練習もそこそこに一週間後には店を始めたというからその度胸とセンスは驚くしかない(笑)
今思えば破天荒なオヤジだった。今思えば、20代での起業のことや軍隊時代の思い出を詳しく聞かなかったのが返す返すも悔やまれる。海軍軍人で、何事にも厳しかった父が海軍記念日でもある5月27日に逝った。南無大師遍照金剛。
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cordial8317 at 07:18│Comments(0)
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