「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」三国人たちは欣喜雀躍とし略奪と報復の火蓋を切った(山口組三代目・田岡一雄)

2022年08月28日

深紅の大優勝旗が【白河以北一山百文】と揶揄された白河の関を越えた

 地元紙(福島民報)への投稿が採用されてた。今年は7月以外は毎月出てる。最近は政治的な投稿が限りなく少なくなった。無自覚左翼の高齢者の拙稿を見なくて済むのは好くもあり、保守的投稿が採用されなくなったのは物足らなさもあり。

 投稿内容は次の通り。〈全国高校野球大会は、宮城県の仙台育英が春夏合わせて五度目の挑戦で優勝を飾った。準決勝での聖光学園との戦いもまた歴史的一戦だった。優勝旗が100 年の時を超え白河の関を越えた。戊辰戦争以来、薩長閥の多かった明治新政府は東北地方を、【白河以北一山百文】と揶揄した。その意味は「白河の関所より北の土地は一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」との侮蔑である。「白河以北一山百文」とは東北人にとって屈辱的な言葉ではあるが、東北人はそうした侮蔑にめげずに奮起する糧とした。平民宰相といわれた原敬は南部藩出身。戊辰戦争で敗れた彼の悲願は、東北に対して「白河以北一山百文」などという薩長主体の藩閥政治を打倒し、政党による政治体制を創ることにあった。 雅号の「一山」が、その反骨精神をよく顕している。地元宮城県と東北の方々に祝意を表し、「100年開かなかった扉が開いた」と語った仙台育英・須江航監督の言葉が胸に響く。〉

 戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥連合は東北地方を卑下し、【白河以北一山百文(しらかわいほくひとやまひゃくもん)】などと揶揄した。そんなことなら、一山百文足らずの東北の地を荒らす必要なんぞ無かったのではないか。

 その意味は、「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という侮蔑した言葉である。以前、復興大臣に就いた今村雅弘が、東日本大震災について「まだ東北で良かった」と発言して更迭されたのは記憶に新しい。

 今村は佐賀県出身で昔の肥州。やはり東北への偏見が潜在的に残っていたのだろう。「東北地方でこれだけの甚大な被害なら、首都圏だったら」と言えば済む話しで、「東北で良かった」とは、東北への偏見が潜在的に残っていたのだろう。

 民主党政権下の復興大臣に就いた松本龍が「九州の人間だから何市がどこの県とか分からん」と東北を蔑視した。安倍政権下では石原伸晃が中間処理場建設が進まない中で「所詮は金目でしょ」と福島県民を愚弄したことは記憶に新しい。

 歴代の復興大臣を見るまでもなく東北の復興というものを軽んじてるのではあるまいか。東日本大震災が起きて陛下は、「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と国民に示された。

 東日本大震災と原発事故という未曾有の国難ともいえる事態に、陛下の大御心に応える為に労り合い、東北人は団結してこの不幸な時期を乗り越えて来たというのに、先頭に立つべき復興大臣がこれではホント呆れ甚し、余りにも情けなかった。

「白河以北一山百文」とは、東北人にとって屈辱的な言葉ではあるが、東北人はそれにめげずに奮起する糧とした。平民宰相と親しまれた原敬は南部藩の士族出身。

 戊辰戦争に於いて、南部軍を率いた家老・楢山佐渡(ならやまさど)が官軍などと驕る薩長連合に敗れて、自裁した際には、 原敬は人目も憚らず寺の塀沿いを「満眼に悲涙を湛えて歩いた」という逸話が残っている。この時、原は弱冠14歳。

 原の悲願は東北に対しての「白河以北一山百文」などという、薩長主体の藩閥政治を打倒し、民主主義の根幹でもある政党選挙に拠る政治体制を創ることにあった。原の雅号は「一山」。この雅号にも原の反骨精神をがよく顕れている。

 東北人の我慢強さと反骨精神を侮る勿れ。宮城県の仙台育英が春夏合わせて五度目の挑戦で優勝を飾り、深紅の大優勝旗が100 年の時を超え白河の関を越えた。「100年開かなかった扉が開いた」と語った仙台育英・須江航監督の言葉が胸に響く。

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cordial8317 at 07:03│Comments(0)

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