2023年02月06日
徒然なるまゝにその日ぐらしシリーズ
「居の安きを求むるは真の志士に非ず」とは吉田松陰。「一日一生」と言いながら積立保険に入ってたり、固定資産税にしたり、マイホーム主義者の様に、居の安きを求める都合の好い右翼にだけはなりたくないと正統右翼浪人を気取っている。
浪人という生き方は、算段さえ心配しなけりゃ気楽なものだが、これが儘ならない。所属してた団体を辞し蟄居してたこともあり、またそれに加え、先の大震災の影響でめっきり支援者も減ってしまった。慢性的不如意の現状は自分自身の努力不足と悪因悪果でもある。だが、一維新者として志は失ってはいない。
「貧すと雖も浮雲の富を求むる勿れ 窮すと雖も丈夫の志を屈する勿れ 矯々龍の如く沈々虎の如し 身を潜め名を隠し 当に一陽来復の時を待つべし」とは坂本龍馬。
その意味は(貧しくても僅かばかりの目先の金儲けに奔るな、困っても挫けるな。眼を据える龍や草叢に身を潜める虎の如くじっと耐え、いつか来るであろう時を待て)。こうした気構えで日々を送っている。ってか、カッコつけ過ぎか(笑)
右翼浪人を気取ってはいるが最近はブロガーか。政治批評の「爆ちゃん吼える(COMMON SENSE)」と「右翼ジャーナル」。地元の会社社長など暴露系ネタの「汚れた顔の紳士達」と福島県内の飲食店の食べ歩き「爆ちゃんのふくしまグルメ探訪」の4つを綴っている。時間持て余し、艱難を通り過ぎてブログで暇潰し。
「艱難は愉しむものなり」と言ったのは西郷隆盛。自殺未遂、二度の遠島処分、西南戦争と苦難続きの人生を送った。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹にその生涯は常に死の影が付き纏っていた。「いつ死んだって好い。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様な処があったという。
会津戦争を見ると狡猾さが見えるが、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。桜田門外の変での水戸藩士への裏切りなど、西郷の人格を決定付けた何かがあったのだろう。
「南洲翁遺訓」などを読めば、西郷の指導者としての度量の深さと無上の高潔さを感じ取れるが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想もまたそういった生き様の裏返しの様にも思えてならない。
「征韓論」を却下された西郷は鹿児島に帰郷。明治政府に不満を持つ士族らは、西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、終に西南戦争が勃発し、敗れた西郷は城山で自刃する。
西郷は「決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかった」というが、西郷が主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは、西郷自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは西郷の不徳の至りだと思う。
苦難とは苦痛ではあるが、実は吾等の敵ではなく味方であり、一番親身に吾が身の為を思って与えてくれる正義の友である。苦難は人を殺す為のものではない。人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるの大慈悲でもある。
「憂きことの なほ積もれかし 限りある身の力ためさん」とは、豪傑・山中鹿之助。山中に籠り「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をした。
この辺が家に引き籠り、果報を寝て待つ俗物の愚生と違うところ。果報は未だ届くことは無いが、ひょっとしたら寝て待ってる間に気付かなかったのかも(笑)
幸福と苦難は表裏一体であり、苦難の本質を弁えれば人生の苦難は「天の与えた試練」と考えるべきだ。と、カッコイイことを綴れども、慢性的不如意はどうにかならないものか。不如意で沈むか、一旦緩急で義勇公に身を捧げられるか、扨てどっちが先か。まぁ、ここまでどうにか生きて来たんだし何とかなるだろう。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
浪人という生き方は、算段さえ心配しなけりゃ気楽なものだが、これが儘ならない。所属してた団体を辞し蟄居してたこともあり、またそれに加え、先の大震災の影響でめっきり支援者も減ってしまった。慢性的不如意の現状は自分自身の努力不足と悪因悪果でもある。だが、一維新者として志は失ってはいない。
「貧すと雖も浮雲の富を求むる勿れ 窮すと雖も丈夫の志を屈する勿れ 矯々龍の如く沈々虎の如し 身を潜め名を隠し 当に一陽来復の時を待つべし」とは坂本龍馬。
その意味は(貧しくても僅かばかりの目先の金儲けに奔るな、困っても挫けるな。眼を据える龍や草叢に身を潜める虎の如くじっと耐え、いつか来るであろう時を待て)。こうした気構えで日々を送っている。ってか、カッコつけ過ぎか(笑)
右翼浪人を気取ってはいるが最近はブロガーか。政治批評の「爆ちゃん吼える(COMMON SENSE)」と「右翼ジャーナル」。地元の会社社長など暴露系ネタの「汚れた顔の紳士達」と福島県内の飲食店の食べ歩き「爆ちゃんのふくしまグルメ探訪」の4つを綴っている。時間持て余し、艱難を通り過ぎてブログで暇潰し。
「艱難は愉しむものなり」と言ったのは西郷隆盛。自殺未遂、二度の遠島処分、西南戦争と苦難続きの人生を送った。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹にその生涯は常に死の影が付き纏っていた。「いつ死んだって好い。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様な処があったという。
会津戦争を見ると狡猾さが見えるが、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。桜田門外の変での水戸藩士への裏切りなど、西郷の人格を決定付けた何かがあったのだろう。
「南洲翁遺訓」などを読めば、西郷の指導者としての度量の深さと無上の高潔さを感じ取れるが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想もまたそういった生き様の裏返しの様にも思えてならない。
「征韓論」を却下された西郷は鹿児島に帰郷。明治政府に不満を持つ士族らは、西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、終に西南戦争が勃発し、敗れた西郷は城山で自刃する。
西郷は「決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかった」というが、西郷が主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは、西郷自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは西郷の不徳の至りだと思う。
苦難とは苦痛ではあるが、実は吾等の敵ではなく味方であり、一番親身に吾が身の為を思って与えてくれる正義の友である。苦難は人を殺す為のものではない。人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるの大慈悲でもある。
「憂きことの なほ積もれかし 限りある身の力ためさん」とは、豪傑・山中鹿之助。山中に籠り「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をした。
この辺が家に引き籠り、果報を寝て待つ俗物の愚生と違うところ。果報は未だ届くことは無いが、ひょっとしたら寝て待ってる間に気付かなかったのかも(笑)
幸福と苦難は表裏一体であり、苦難の本質を弁えれば人生の苦難は「天の与えた試練」と考えるべきだ。と、カッコイイことを綴れども、慢性的不如意はどうにかならないものか。不如意で沈むか、一旦緩急で義勇公に身を捧げられるか、扨てどっちが先か。まぁ、ここまでどうにか生きて来たんだし何とかなるだろう。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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cordial8317 at 05:47│Comments(0)
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