日本民族の生死を賭けた日露戦争開戦記念日を忘れるな!男子たるもの厨房に入るべからずどころか進んで厨房に這入るべし!

2024年02月11日

奉祝・紀元節。建国を偲び、国を愛する心を涵養する日に思う

 本日は「建国記念日」であり、戦前は「紀元節」として国民挙って奉祝した日である。祝日法には「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」との趣旨がある。では、その「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることなのか。

 国を愛する心とは、今どきの保守ブームの安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。

 日本人が失った徳目を呼び返す標語として「愛国心」は相応しいと思うが、ネット右翼や自称・愛国者の過熱ぶりを目の当たりにすると、国を愛する心を涵養するどころか、「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも無きにしも非ず。

 国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、折角の「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる。

 三島由紀夫は嘗て「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、この言葉に激しく同意する。

 我ら日本人が持つべきは、「大和の心(大和魂)」であり、つまりそれは花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。

 国を愛する心の涵養とは、大和心を涵養であり、これ即ち、国学者・本居宣長の宣う、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。

 明治22年2月11日、「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布されると、全国各地の神社では紀元節祭を行うこととなる。青年団や在郷軍人会などを中心に建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。だが、終戦で紀元節は廃止。

 GHQ統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるもGHQが削除。要は、2月11日は大日本帝国憲法の発布記念日であり、日本国憲法を押し付けた側にすれば怪しからんということだ。

 我が国がGHQの占領から解放された主権を回復した昭和27年4月28日、「紀元節復活運動」が起きる。昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出する。

 昭和41年に祝日法が改正されると、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され、今日に至っている。「紀元節復活運動」から実に15年の歳月を要した。

 本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝・紀元節パレードが行われるが、この国に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前の光景である。

 一方で「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や護憲派どもが「奉祝反対」の催しをしている。正に、戦後民主主義教育の弊害である「平和ボケ」の日本人を象徴するものである。

「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。逆を言えば、明治人の知恵の結晶でもある旧帝国憲法の復元と改正こそが日本人としての正義でもあるということ。

 建国を偲び、国を愛する心を涵養する日とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と大理想を伝えて行くべきであろう。

 そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」と呼称するのが望ましく、国法である大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならないのだ。

「何故に日本人としてこの国に生まれてきたのだろう」と考える。自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、それを祝うのはその国に生まれた者の務めである。

 畏くも天皇を仰ぎ奉る大和民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有するものは、我ら日本人である。

 本日の紀元節に当たり、神武肇国の大理想である八紘一宇の精神を天高く掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しようではないか。すめらぎいやさか!

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cordial8317 at 06:33│Comments(0)

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