栄佐久さん、そろそろネコババしてる退職金7720万円は返したら(苦笑)オスプレイ再開と騒ぐよりオスプレイを配備する最大の理由と意味を報じよ!

2016年12月20日

全国版のニュースになった日大東北高校相撲部の暴力問題を嗤う

 郡山市の日大東北高校相撲部の顧問が部員に暴力を揮ってたとのニュースが全国を駆け巡った。この顧問の男性教諭は相撲の名門・日大相撲部の主将を務め、全日本選手権では準優勝した経歴を持つ。報道は事実を捻じ曲げられ、ゴムのハンマーがいつの間にか単なるハンマーで殴られたとか、デッキブラシが鋸だったりと作為的なのも見受けられる。鉄のハンマーで相撲の実力者に殴られれば命は無いだろう(笑)

 ヤキを入れられたこの生徒の親やマスコミから見れば、相撲部顧問の暴力行為を明らかにさせたことはしてやったりだろうが、果たしてそれほど騒がれる問題なのだろうか。指導や教えるというのは実に難しく、言って聞かせて本人の理解出来れば問題ないが、言っても分からない子供に幾ら言って聞かせてもは効果はない。

 そういう生徒にはビンタやヤキ、シゴキに拠って本能を鍛え上げることは教育をする上での大事な要素の一つでもある。 だがそれには、教える立場の者は日々生徒達に愛情を注ぎ、尊敬される様な言動や立ち居振る舞いをすることが肝要である。

 本能を鍛え上げるということを重んじて生徒への教育を重んじていれば、生徒も先生に「敬」を抱くし、時に揮う「愛のムチ」というビンタやヤキにしても、その感じ方、捉え方も変わってくるだろう。悪気の無い愛のムチは体罰とは言わない。

 人を育てるというのは日本刀が出来上がる過程と似ている。日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ、「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。国士舘の創設者・柴田徳次郎先生もこう訓示している。

「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」 。実に分かり易い教えではなかろうか。

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」で、焼き入れを行うことで刀に命を吹き込むのだが、焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまうもので、刀鍛冶と同じく、教育者もヤキというのは重要な工程だということを知るべし。

 本来、「ヤキを入れる」という過程は鍛錬の一つであって、そしてその鍛え込んだ刀を磨き上げて立派な刀が出来上がるのだ。教育も同じであり、ヤキを入れた後に生徒を磨き上げることも無く放り出すから単に暴力だと断じられてしまうのだ。

 確かにそのヤキという指導の在り方に全く問題が無いということではないが、指導した今回の日大東北高校相撲部顧問のやり方全てを体罰や暴力で片付けてしまうというのも、事の本質をチト違う方向へ導いてしまっているのではなかろうか。

 戦後、我が国では子供を褒めなければダメ、叱ったり殴ったりすることはケシカランという考えが支配的になった。この「褒める教育」というものは、抑々、日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」と謳ったところから始まったものである。 

 その為に非行を繰り返す不良生徒を殴った教師が吊し上げられ、排除されてきた。「学級崩壊」や「教育荒廃」の元凶はここに在る。今回の問題も、生徒を鍛え上げ方が間違っていたかも知れないが、「角を矯めて牛を殺す」との譬えの様に、顧問を糾弾し過ぎて、肝心な根本をも損なうことになってしまうのではと危惧する。

 誰にでも間違いはある。怒りからの体罰は暴力だが、恕から出でた行為を批判するのはどうも感心しない。と、日大東北高校の校長のカツラと教頭の禿げ頭を見ながらそんなことを考えた。つ~か、匿名を好いことにくだらないコメントを寄せるなっての。そういうのは日本では卑怯と言う。そこの貴方、分かりましたか(苦笑)

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cordial8317 at 05:38│Comments(0)

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