2022年12月08日
東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
本日12月8日は、畏くも「宣戦の詔書」が渙発せられた大詔奉戴日である。昭和16(1941)年12月8日未明、大日本帝国海軍は米国領の真珠湾攻撃に至る。東アジアに永遠の平和を確立し、我が国の光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。
米国では12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」とし「日本は騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾し、日本蔑視は止むことはない。
未だに我が国がこうした汚名を着せられ続けるのは、ろうことか当時の駐米日本大使が宣戦布告前日の晩に酒を飲み過ぎて宣戦布告の「覚書」を指定時間に渡すことが出来ずに真珠湾攻撃から1時間後に持参することとなったからに他ならない。
我が国の外交史上の歴史に残る大失態であるにも関わらず誰一人として咎められず、責任も取っていない。然も驚くことに、戦後、彼らは外務次官や駐英大使など外務省の第一級ポストに昇進し、勲章まで授与されているのには驚く他はない。
彼らが職務を遂行していれば、我が国も日本国民も「嘘吐き」とか「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだのだのは間違いないが、抑々、大東亜戦争に至ったのは、米国側が「騙し討ち」と言われる真珠湾攻撃そのものが原因ではない。
日清・日露戦争という国難を経た我が国が何故に米英との開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは1953年のペリーの黒船来航時代まで遡り、アジアの近代史と15世紀からの大航海時代の世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。
敗戦した我が国だけが悪い訳ではない。抑抑、何故に我が国が大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題であって、現代の幼稚で安っぽい倫理観や道徳観で一部分の歴史だけを見て断じることに何の意味が在るというのか。
歴史の検証をする際、我が国の罪を論うことは大事なことだが、日本に生を享けた者として大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務でもある。
歴史の検証で大切なのことは、古今東西、世界に蔓延っていた覇権主義の克服を主張すべきであって、他国のそうした覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが反省の上に立って自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。
思うに、戦後77年経った我が国が、未だに自虐史観から目覚めないのは、米国が徹底した「太平洋戦争」史観が蔓延っているからに他ならない。我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」ということを先ず理解するべきだ。
我が国は「大東亜戦争」を断行したのであって「太平洋戦争」を戦った訳ではない。先の大戦を理解しようとするならば先ずは「太平洋戦争」という呼称を止めることだ。そうすれば自ずと先の戦争の意義を理解することが出来るだろう。
昭和16年12月8日に渙発せられた「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。一部摘記する。
【東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス】
(東アジアの安定に関して我が帝国が掃らってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕することになる。事ここに至っては我が帝国は、今や自存と自衛の為に決然と立上がり一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め速やかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確立しそれに拠り、帝国の光栄の保全を期す)
我が国にとって大東亜戦争は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族(有色人種)の独立と復権を齎した。「開戦の詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。
本日、大東亜戦争の開戦日に当たり、先の大戦で戦陣に散った英霊に対し感謝の誠を捧げると共に、畏くも陛下の弥栄を祈念する。すめらみこといやさか。
余談ではあるが、国士舘大学の先輩でもあり盟友だった、防共挺身隊三代目総隊長の對馬則政が平成21年の12月8日に幽冥界を異にして13年が経ったが、愚生にとって12月8日という日は忘れることはない。 南無大師遍照金剛 。合掌再拝。
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
米国では12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」とし「日本は騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾し、日本蔑視は止むことはない。
未だに我が国がこうした汚名を着せられ続けるのは、ろうことか当時の駐米日本大使が宣戦布告前日の晩に酒を飲み過ぎて宣戦布告の「覚書」を指定時間に渡すことが出来ずに真珠湾攻撃から1時間後に持参することとなったからに他ならない。
我が国の外交史上の歴史に残る大失態であるにも関わらず誰一人として咎められず、責任も取っていない。然も驚くことに、戦後、彼らは外務次官や駐英大使など外務省の第一級ポストに昇進し、勲章まで授与されているのには驚く他はない。
彼らが職務を遂行していれば、我が国も日本国民も「嘘吐き」とか「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだのだのは間違いないが、抑々、大東亜戦争に至ったのは、米国側が「騙し討ち」と言われる真珠湾攻撃そのものが原因ではない。
日清・日露戦争という国難を経た我が国が何故に米英との開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは1953年のペリーの黒船来航時代まで遡り、アジアの近代史と15世紀からの大航海時代の世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。
敗戦した我が国だけが悪い訳ではない。抑抑、何故に我が国が大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題であって、現代の幼稚で安っぽい倫理観や道徳観で一部分の歴史だけを見て断じることに何の意味が在るというのか。
歴史の検証をする際、我が国の罪を論うことは大事なことだが、日本に生を享けた者として大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務でもある。
歴史の検証で大切なのことは、古今東西、世界に蔓延っていた覇権主義の克服を主張すべきであって、他国のそうした覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが反省の上に立って自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。
思うに、戦後77年経った我が国が、未だに自虐史観から目覚めないのは、米国が徹底した「太平洋戦争」史観が蔓延っているからに他ならない。我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」ということを先ず理解するべきだ。
我が国は「大東亜戦争」を断行したのであって「太平洋戦争」を戦った訳ではない。先の大戦を理解しようとするならば先ずは「太平洋戦争」という呼称を止めることだ。そうすれば自ずと先の戦争の意義を理解することが出来るだろう。
昭和16年12月8日に渙発せられた「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。一部摘記する。
【東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス】
(東アジアの安定に関して我が帝国が掃らってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕することになる。事ここに至っては我が帝国は、今や自存と自衛の為に決然と立上がり一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め速やかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確立しそれに拠り、帝国の光栄の保全を期す)
我が国にとって大東亜戦争は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族(有色人種)の独立と復権を齎した。「開戦の詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。
本日、大東亜戦争の開戦日に当たり、先の大戦で戦陣に散った英霊に対し感謝の誠を捧げると共に、畏くも陛下の弥栄を祈念する。すめらみこといやさか。
余談ではあるが、国士舘大学の先輩でもあり盟友だった、防共挺身隊三代目総隊長の對馬則政が平成21年の12月8日に幽冥界を異にして13年が経ったが、愚生にとって12月8日という日は忘れることはない。 南無大師遍照金剛 。合掌再拝。
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cordial8317 at 05:18│Comments(0)
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