キューバの英雄・フィデル・カストロの死去に思う産経新聞の読者の欄「談話室」に2回目の採用!

2016年11月29日

「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」

 大相撲九州場所は横綱・鶴竜が優勝した。大関・稀勢の里は年間最多勝に輝きながら未だ優勝は無し。それにしても横綱らの相撲のレベルの低さには厭になる。勝負よりも勝ち星に拘った取り口はつまらなく、相撲人気は凋落の一途を辿るだろう。

 不世出の名横綱といえばやはり「双葉山」だろう。双葉山は強さに加え、美しさがあったと誰もが言って憚らない。土俵に上がったら無駄な動きはせず、必ず受けて立った。一度負けた相手には負けることがなかったことからもその努力が窺える。

 今の横綱の様な無様な相撲ではなく、所作そのものが美しく、見るからに横綱の威厳があった。双葉山は、こうした受けて立つ相撲をきかれると「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」と述べ、周囲を驚かせた。

 双葉山は明治45年生まれ、大分県宇佐郡天津村布津部出身。四股名は「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」との諺から命名である。大成する人物というのは、幼い頃から人並み外れて優れたところがあるという喩えであるが、双葉山は正しく。

 6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際に、その矢が右目に刺さり失明する。また少年時代、父親の海運業の手伝いをしていた際に、錨の巻き上げ作業で右手小指を潰してしまう。父の海運業が失敗し、知人の警察の勧めで立浪部屋に入門。

 右目は失明、右手小指も動かないというハンデを克服し、前頭二枚目から破竹の69連勝で一気に横綱に昇進した。隻眼(せきがん)といえば伊達政宗や北一輝、乃木希典、ヘレンケラーが尊敬した塙保己一など障害を克服した努力の人は多く、特に双葉山の場合はハンデが致命傷となりかねない力士だから驚く他は無い。

 大関になって間もない頃に双葉山は、陽明学者であり思想家でもある安岡正篤から「木鶏(もっけい)」の話を聞く。本当に強い闘鶏というのは、空威張りもしないし、無闇に戦闘的でもなく、木で作った鶏の如くだという訓えに痛く感銘を受ける。

 双葉山に安岡は「木鶏の様になれば徳が充実し、勝敗も超越して天下無敵となる」と教え、双葉山もそれに応えようとした。70連勝を賭けた昭和14年1月場所4日目、出羽海一門の新鋭・安藝の海(後に横綱)に敗れると、双葉山は欧州航路でインド洋上にあった安岡に打電した。「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」

 連勝が止まった双葉山はその後、福岡県の山中で滝に打たれ修業し、再び連勝を重ねるものの、昭和20年8月15日、大東亜戦争での日本軍の敗戦に大きな衝撃を受け引退を決意したという。正しく横綱・双葉山とは愛国者でもあったのだ。

「名選手、必ずしも名監督に成れず」と言うが双葉山は違った。時津風親方となってからは相撲界の改革を実行し、一代で一横綱、三大関、幕内26名と育てた関取の合計は48名という名親方でもあった。大相撲の伝説は双葉山に適うものは無い。

 双葉山はハンデキャップを乗り越え、稽古と研究、精神の修養を続けた。力士としてだけではなく、日本人の模範ともいえる人格者だった。五体満足の愚生は一体何をやっているのやら。強烈な努力どころか不断の努力の乏しさを思い知る。

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cordial8317 at 05:15│Comments(0)

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