2016年11月15日
若者よ、大いに失敗し、そこから学ぶべし。こじんまりすること勿れ!
季節はもう冬だが、「読書の秋」とは、支那・唐代の文人である韓愈の詩の中の一節、「燈火(とうか)親しむべし」が由来で、その意味は、「秋になると涼しさが感じられ、あかり(燈火)に馴染む様になる」、つまり、秋は読書に一番適した季節だということらしい。読書をする上で大事なのは「崇拝」「反抗」「衒学」の心得。
「崇拝」とは、自分が尊敬している先生や著者の本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないことが大事。「反抗」とは「崇拝」の逆で、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちだが、揚げ足を取ろうとして読まないこと。どんな意見にも耳を傾けることが大事。
「衒学」というのは、学識・博識をひけらかす目的を以て読まないことで、新渡戸稲造の「武士道」でも教えているが、武士道では「衒学」が嫌われる。この3つは別に読書に限らず、人間関係にも当て嵌まる。FBなどでも著名人と知り合いになり、その人を崇拝し過ぎて、結果、媚び諂っているなんてことも無きにしに非ず。安倍信者なんてのはその典型だが、有名右翼人と繋がって勘違いしてるのもチラホラと(笑)
「反抗」もそうで、少しは自分と違う意見にも耳を傾けることも必要で、反骨精神から反論し諭すことこなら大いに結構だが、少しでも意見が違うとなれば有無を言わさず罵詈雑言を浴びせるいうのは頂けない。自称・読書家というのは読書の量を自慢する。斯くいう愚生も、若い頃は政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々な書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたものだ(笑)
読書好きな人というのは「読書は楽しい」といって憚らないが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でも好いし、芝居とか落語でも好いだろう。
本というものはカネと同じで、無いよりはあった方が好いし、読まないよりは読んだ方が好いというくらいなのもので、勉強とか学ぶという基本的な在り方は、活眼を以て生きた本を読むことだ。読んで学んで、実践しなければ意味は無い。常々、心眼を開いていれば、「生きた学問」、参考書となるべきものは多く在る。
「生きた学問」」「耳学問」で一番なのが、失敗に失敗を重ねながらも成功した人物の話であり、くだらん本なんぞより学ぶことは多い。大学教授や学者、昨今の保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。
「常識」というのは太陽が東から昇って西に没する、こういうことが常識であり法律なのだが、法律の細かな点では専門家には敵わない。だから顧問弁護士やら相談役というのが登場する。だが弁護士もまた「好い顧問」とそうでもないのがいる。
好い顧問とは、頭が良いだけではダメで、やはり毒ネズミを食べた猫でなくてはならない。法律にだって表があれば裏だってある。千軍万馬の危ない橋を渡って来た弁護士が重宝されるのはその為だ。失敗を経験した数が「場数」であり、愚生は「バカ数」といっている。つまりは「失敗」というバカなことを経験を積み重ねることによって男の重みが変わって来るのもの。だから失敗も好い経験なのだ。
人間、成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵は傾聴に値するのは、「失敗」することで「反省」し、そこから「思索」し、生きた学問を学んでいるからこそ面白くて為になるのである。我が母校・国士舘の徳目である「読書」「体験」「反省」「思索」とは、創立者・柴田徳次郎先生の自らの経験や失敗から学んだ教育の根本原理であり、教育の理念であり、国士舘の大理想でもある。
若者よ、失敗を恐れずに挑戦し、大いに失敗し、そこから学ぶべし。こじんまりすること勿れ。決して当たり障りのない様な、無難な男になるべからず!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
「崇拝」とは、自分が尊敬している先生や著者の本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないことが大事。「反抗」とは「崇拝」の逆で、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちだが、揚げ足を取ろうとして読まないこと。どんな意見にも耳を傾けることが大事。
「衒学」というのは、学識・博識をひけらかす目的を以て読まないことで、新渡戸稲造の「武士道」でも教えているが、武士道では「衒学」が嫌われる。この3つは別に読書に限らず、人間関係にも当て嵌まる。FBなどでも著名人と知り合いになり、その人を崇拝し過ぎて、結果、媚び諂っているなんてことも無きにしに非ず。安倍信者なんてのはその典型だが、有名右翼人と繋がって勘違いしてるのもチラホラと(笑)
「反抗」もそうで、少しは自分と違う意見にも耳を傾けることも必要で、反骨精神から反論し諭すことこなら大いに結構だが、少しでも意見が違うとなれば有無を言わさず罵詈雑言を浴びせるいうのは頂けない。自称・読書家というのは読書の量を自慢する。斯くいう愚生も、若い頃は政治思想の本を中心に、雑駁ではあったが色々な書物を読み漁り、本棚に並べてはその読書量に悦に入ったりしたものだ(笑)
読書好きな人というのは「読書は楽しい」といって憚らないが、読んで楽しいというだけなら別に読書じゃなくても映画でも好いし、芝居とか落語でも好いだろう。
本というものはカネと同じで、無いよりはあった方が好いし、読まないよりは読んだ方が好いというくらいなのもので、勉強とか学ぶという基本的な在り方は、活眼を以て生きた本を読むことだ。読んで学んで、実践しなければ意味は無い。常々、心眼を開いていれば、「生きた学問」、参考書となるべきものは多く在る。
「生きた学問」」「耳学問」で一番なのが、失敗に失敗を重ねながらも成功した人物の話であり、くだらん本なんぞより学ぶことは多い。大学教授や学者、昨今の保守ブームに乗っかって稼いでいる営業保守の本なんぞ、小難しい言葉を羅列しては悦に入ってるが、よくよく読めば「常識」を尤もらしく書き綴っているだけのこと。
「常識」というのは太陽が東から昇って西に没する、こういうことが常識であり法律なのだが、法律の細かな点では専門家には敵わない。だから顧問弁護士やら相談役というのが登場する。だが弁護士もまた「好い顧問」とそうでもないのがいる。
好い顧問とは、頭が良いだけではダメで、やはり毒ネズミを食べた猫でなくてはならない。法律にだって表があれば裏だってある。千軍万馬の危ない橋を渡って来た弁護士が重宝されるのはその為だ。失敗を経験した数が「場数」であり、愚生は「バカ数」といっている。つまりは「失敗」というバカなことを経験を積み重ねることによって男の重みが変わって来るのもの。だから失敗も好い経験なのだ。
人間、成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵は傾聴に値するのは、「失敗」することで「反省」し、そこから「思索」し、生きた学問を学んでいるからこそ面白くて為になるのである。我が母校・国士舘の徳目である「読書」「体験」「反省」「思索」とは、創立者・柴田徳次郎先生の自らの経験や失敗から学んだ教育の根本原理であり、教育の理念であり、国士舘の大理想でもある。
若者よ、失敗を恐れずに挑戦し、大いに失敗し、そこから学ぶべし。こじんまりすること勿れ。決して当たり障りのない様な、無難な男になるべからず!
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cordial8317 at 04:59│Comments(0)
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