「アラビア太郎」こと「山下太郎」を知ってるだろうか昭和11年2月26日、青年将校らは「尊皇討奸」を掲げ決起した!

2023年02月25日

時代が運命を見放した戦国武将・伊達政宗の処世術に学ぶ

「運命」「宿命」「使命」「懸命」などは夫夫「命」という言葉が使われている。例えば「運命」とは生命を運ぶと書く。この世に生まれたという宿命を、懸命の努力によって使命を果たして好い方向へ運ぶことの出来るものが運命でもある。

 愚生の場合、この懸命の努力に乏しく投げやり的他力本願だろうか。右翼人として、一維新者を自任しながらもその使命を死命とせずに、うだうだと怠惰な生き方を続けている。これが己の運命や宿命と気取るのも厚顔の至り。

 歴史を見れば戦国時代の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の様に天下統一を果した者もいれば、三名以上の器量や見識、才智に長けていても生きた時代が悪かったのか、時代がそれを見放してしまったのか地方の武将に甘んじた者も少なくない。奥州の伊達政宗は、そんな悲運の武将の一人であろう。何より生まれたのが遅過ぎた。

 正宗が未だ梵天丸と称した少年時代、隻眼で醜怪な顔立ちが忌み嫌われて、弟の竺丸を偏愛した産みの母に危うく毒殺されそうな一幕もあった。十一歳で元服し「政宗」を名乗り、十三歳で三春から愛姫を娶る。十九歳の時には降伏した二本松城主・畠山(二本松)義継が、和議を仲介した政宗の父・輝宗を宮森城から拉致した。

 輝宗の拉致の際に政宗は、粟ノ須(あわのす)で輝宗もろとも畠山を撃殺した。この逸話には諸説あり、最期を悟った畠山義継が伊達輝宗を殺害した後に自刃したという説や、政宗の父殺しの陰謀であるとか、輝宗が、「我が身諸共義継を撃て」と政宗に命じたという説がある。ドラマでは輝宗が命じたという説が多い。

 畠山家と伊達家の因縁は奥州探題に遡る。奥州四管領の一人として奥州の地を取り締まって来た畠山家にとって伊達家は新参者である。畠山義継・伊達輝宗の時代までは和平を保ってたが、政宗が家督を継ぐとその勢力図は崩れて行く。

 米沢を拠点にしていた伊達氏は周囲の大名を取り込み奥州一の勢力となる。二本松にも攻め入り、大名舘を攻め落とし次々と奪い取って行った。 中には伊達家に通じる二本松の大名などもおり、畠山は危機感を募らせていく。

 そこで畠山は、輝宗に「降伏をするので息子(政宗)の暴挙を止めてくれないか」と宮森城を訪れる。 ところが輝宗は「自分は家督を退いた身であり、政宗に任せてある」と、和議の申し入れを聞かなかった。そして前述した拉致に続く。

 この時代に政宗が住んでた城が、愚生の故郷の「小浜城」。小浜城より2キロほど下った処に在った「宮森城」に輝宗が居城していた。愚生の自宅からは宮森城が近い。こんな片田舎に城が二つ在ったことが自慢だ。この宮森家の末裔が、現在は「花春」や「栄川(えいせん)」「宮泉」などの会津の銘醸を創り上げた。

 畠山を成敗した政宗は、二本松救援の名目で駆け付けた佐竹及び蘆名ら南奥諸大名連合軍と激突し、会津四軍を攻め落とし黒川城(鶴ヶ城)に入城する。この時、政宗は二十歳。一方では秀吉が小田原城を攻め全国平定が成し遂げられつつあった。

 歴史に「若し」は無いが、若し、政宗が奥州の片田舎でなかったら天下統一も夢ではなかっただろう。これ即ち「運命」に非ず、「宿命」というものだろう。

 斯くいう愚生も蟄居状態ではあるが、決して中央で活躍してる右翼らより活動家や右翼人として劣っているとは思わない。然し乍ら、やはり団体を除籍になった影響は大きく、これも宿命だったのかと自問自答する今日この頃である。

 東北人だからということではないのだが、政宗に学ぶことは多い。中でも豪胆な外交力は刮目に値する。政宗は秀吉の度々の上洛の督促にも中々腰を上げ様とはしなかった。小田原参陣の最後通牒を受けても正月を悠々と会津で過ごした。

 政宗は数年前から秀吉を取り巻く煩型(うるさがた)の家康、利家、秀次、浅野長政、千利休などの実力者と親交を結び、かなりの付け届けを怠らなかったという。これは秀吉の動向を探る為のもので、その外交力の高さが窺える。

 小田原で秀吉に謁見する際には、髻(もとどり)を水引で結び、甲冑を被り、素衣を着て、凶服の装束で出掛けたという。流石の秀吉もこれには唖然。

 諸国大名居並ぶ中で命拾いの御礼言上。そして献上品として大量の砂金を差し出す。その砂金が零れると、事も無げに懐紙で拭いてしまった。政宗の豪気と肝の据わり方はやはり天性のものであろう。この時、政宗、弱冠二十一歳。

 天下分け目の「関ヶ原の戦い」も終わり、天下の大勢が家康に決すと察すると、政宗は国内統一は諦め、外国との貿易を夢見て支倉六右衛門ら伊達政宗遣欧使節団十名を独力で派遣する。こんな気宇壮大な武将が他にはいない。

 政治家にしろ、組織のトップにしろ器量や見識、才智に長け、或いは能力があるから成功するものでもなし、人の運命とは実に気紛れで不可思議なものでもある。

 まぁ、愚生の慢性的不如意は自業自得の様なものだが、そのうちなんとかなるだろうし、正統右翼浪人から抜け出して、一維新者として活躍の場が来るだろうと勝手に思っている。何故ならそれが愚生の右翼人としての運命なのだから。呵呵。

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cordial8317 at 06:18│Comments(0)

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