2022年09月19日
子供叱るな来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ
今日は「敬老の日」。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている祝日で、祝日法の改正により「ハッピーマンデー」の第三月曜日に組み込まれた。ハッピーマンデーについては今回は割愛したい。
「敬老の日」は、昭和22年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町~現在の多可町八千代区)で、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、村の老人を集めて祝賀会を開催したのが始まりとされる。
9月15日ではなくハッピーマンデーへの変更の際は、「敬老の日」提唱者の村長から遺憾の意が表明されたという。祝日の趣旨からしても当然の抗議だろう。
老人とは老人福祉法では65歳ということになってる。60歳を初老だと思ってる人も少なくないが「初老」は42歳。60歳は「還暦」。後期高齢者は75歳以上。
最初に敬老会が行われた昭和22年当時は、終戦直後ということもあり、老人といわれる方々は明治や江戸時代に生まれ。そんなこともあって尊敬出来る老人も多く、戦後の復興に向けて「年寄りの知恵」を教わることは大事なことだったと思う。
祝日法には「老人を敬愛し、長寿を祝う」との趣旨になってはいるが、年寄りだから立派な人格者かというとだらしのない年寄りもいるのも確かで、中でも、所謂「団塊の世代」というのは思想も然ること乍らマナーの悪い老人が目に付く。
安倍元首相の「国葬」にしても、死を悼むことなく、死人に鞭打つ行為は日本人とは思えない。団塊の世代の左翼活動というのは、反体制を勘違いしているノスタルジックな革命ごっこ。その思想の根底は戦後民主主義であることさえ気付かない。
愚生は公衆浴場が好きでよく行くが、浴場くらい育ちが分かる場所はないと思っている。湯船に入るのにも、洗い場でのマナーにしろ、サウナに入り、サウナから水風呂に浸かるのもやはり周りの人に気を遣うことが大事なのは当たり前のこと。
最近の年寄りというのは行儀が悪く、マナーを知らない人が少なくない。「カネを払ってるのだから別に良いだろう」と言わんばかりに横柄に振る舞ってる人をよく見かける。愚生は常々、そんな先輩方にも注意や苦言を呈すことにしている(笑)
最近では「老人業」というのが流行り、「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張するが、そんな年寄りが長生きするほど悲惨なことは無い。そんな老人を「敬愛しろ」というのも無理というもの。
そういう意味でも、初老(40歳)を過ぎた大人は、自分が周りの見本であるとの認識を持つ様に心掛け、その言動や行動は常に慎重であるべきだと思う。
我が国の現在があるのは、多くの先人の知恵で生き抜いたのも確かだろう。例えば、明治維新にしてもそのバックボーン(背骨)は江戸生まれであり、江戸時代に育まれた道徳や教養、武士道精神や大和魂が見事に結実した結果でもある。
本居宣長が「古事記伝」を表し、国学を大成させ、水戸光圀は「大日本史」を編纂し、勤王思想を鼓舞した。この日本学を「水戸学」というが、佐久間象山や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎など多くの志士がその思想の影響を受けた。
水戸学を知ることで、天朝の尊厳性を尊び、鼓舞し、奮い立ったのだ。江戸時代に培った国学や日本学に由る勤王思想などの国益中心の愛国・憂国の心の成果が、大政奉還と大政復古に繋がり、明治維新を経て近代国家を創り上げたのである。
老人は子供と同じく国の宝という意味を分からない訳ではないが、敬老の日を祝って貰う前に、老人と言われる方こそ、祖国日本のことや先祖や先人に思いを馳せ、自分自身がそれに恥じない生き方をしているか自問自答しては如何だろう。
「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」という格言がある。子供の躾は大人の義務であり、叱りつけることで善悪を教えることは大事なことだが、年寄りが生まれた国を貶めたり、その行為を笑われたりしている様じゃ世も末だわな。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
「敬老の日」は、昭和22年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町~現在の多可町八千代区)で、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、村の老人を集めて祝賀会を開催したのが始まりとされる。
9月15日ではなくハッピーマンデーへの変更の際は、「敬老の日」提唱者の村長から遺憾の意が表明されたという。祝日の趣旨からしても当然の抗議だろう。
老人とは老人福祉法では65歳ということになってる。60歳を初老だと思ってる人も少なくないが「初老」は42歳。60歳は「還暦」。後期高齢者は75歳以上。
最初に敬老会が行われた昭和22年当時は、終戦直後ということもあり、老人といわれる方々は明治や江戸時代に生まれ。そんなこともあって尊敬出来る老人も多く、戦後の復興に向けて「年寄りの知恵」を教わることは大事なことだったと思う。
祝日法には「老人を敬愛し、長寿を祝う」との趣旨になってはいるが、年寄りだから立派な人格者かというとだらしのない年寄りもいるのも確かで、中でも、所謂「団塊の世代」というのは思想も然ること乍らマナーの悪い老人が目に付く。
安倍元首相の「国葬」にしても、死を悼むことなく、死人に鞭打つ行為は日本人とは思えない。団塊の世代の左翼活動というのは、反体制を勘違いしているノスタルジックな革命ごっこ。その思想の根底は戦後民主主義であることさえ気付かない。
愚生は公衆浴場が好きでよく行くが、浴場くらい育ちが分かる場所はないと思っている。湯船に入るのにも、洗い場でのマナーにしろ、サウナに入り、サウナから水風呂に浸かるのもやはり周りの人に気を遣うことが大事なのは当たり前のこと。
最近の年寄りというのは行儀が悪く、マナーを知らない人が少なくない。「カネを払ってるのだから別に良いだろう」と言わんばかりに横柄に振る舞ってる人をよく見かける。愚生は常々、そんな先輩方にも注意や苦言を呈すことにしている(笑)
最近では「老人業」というのが流行り、「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張するが、そんな年寄りが長生きするほど悲惨なことは無い。そんな老人を「敬愛しろ」というのも無理というもの。
そういう意味でも、初老(40歳)を過ぎた大人は、自分が周りの見本であるとの認識を持つ様に心掛け、その言動や行動は常に慎重であるべきだと思う。
我が国の現在があるのは、多くの先人の知恵で生き抜いたのも確かだろう。例えば、明治維新にしてもそのバックボーン(背骨)は江戸生まれであり、江戸時代に育まれた道徳や教養、武士道精神や大和魂が見事に結実した結果でもある。
本居宣長が「古事記伝」を表し、国学を大成させ、水戸光圀は「大日本史」を編纂し、勤王思想を鼓舞した。この日本学を「水戸学」というが、佐久間象山や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎など多くの志士がその思想の影響を受けた。
水戸学を知ることで、天朝の尊厳性を尊び、鼓舞し、奮い立ったのだ。江戸時代に培った国学や日本学に由る勤王思想などの国益中心の愛国・憂国の心の成果が、大政奉還と大政復古に繋がり、明治維新を経て近代国家を創り上げたのである。
老人は子供と同じく国の宝という意味を分からない訳ではないが、敬老の日を祝って貰う前に、老人と言われる方こそ、祖国日本のことや先祖や先人に思いを馳せ、自分自身がそれに恥じない生き方をしているか自問自答しては如何だろう。
「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」という格言がある。子供の躾は大人の義務であり、叱りつけることで善悪を教えることは大事なことだが、年寄りが生まれた国を貶めたり、その行為を笑われたりしている様じゃ世も末だわな。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 07:29│Comments(0)
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。