岡田よ、屈辱的経緯の下に米国製の憲法が押し付けられたことは悔しくないのか!?「反捕鯨」「反イルカ漁」の反日的活動には断固として対抗措置を講じよ!

2016年08月22日

右翼を自任しながら教育勅語を熟読し実践してるとはとても思えない(苦笑)

 今朝は雑感を綴ってみよう。右翼が皇居の勤労奉仕に行って陛下から会釈されたことを自慢げにツイートしてるのを見た。黙って奉仕するなら未だしも、勤労奉仕や千鳥ヶ淵墓苑や靖國神社の清掃に参加してきたなどと自慢して何になるのだろう。

 こうした右翼に足らないのは「恭倹己を持し」であり、教育勅語を熟読し実践してるとはとても思えない。「恭倹己を持し」とは、人に対しては恭(うやうや)しく、自分自身は慎み深く振る舞うこと。また、その様をいうが、「こうやった」「ああやった」「俺が、俺が」という自慢話や出しゃばりは見ていて滑稽でもある。

 8月15日に遺族を押し退け靖國神社に参拝し「英霊に哀悼の誠を捧げた」とツイートしてる現役右翼幹部がいた。靖國神社は、英霊の死を悼み悲しむ追悼施設ではない。尊い命を投げ出された英霊の功績などを広く知らせる為の顕彰する社である。

「鎮魂」ということでいうならば、英霊の御霊は陛下の御親拝に拠ってのみ鎮められるということで、我々が出来ることではない。「感謝の誠」ならいざ知らず、「哀悼の誠」とは勘違いも甚だしい。こんなレベルの右翼だから世間に嗤われるのだ。

 英霊は御祭神であり、例えば明治神宮に参拝するにしても、伊勢神宮然り、出雲大社然り、明治天皇や天照大神や豊受大神、大国主命に哀悼の意を表すということはしないことでも分かるだろう。まぁ、それでも神道は大らかである(笑)

 先の大戦で亡くなったのは英霊だけではない。終戦の詔勅が渙発された日を、「終戦記念日」と言い換えて、15日を特別な日として靖國神社に赴く右翼団体や保守派の行動は理解し難く、正に贔屓の引き倒しとしか思えない。

 先の大戦を道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのであるが、それを終戦を祝うが如く記念するとは何事か。保守派や右翼の劣化は甚だしい。

 8月15日は終戦の日ではない。終戦の勅諭が下賜された日であり、侵略戦争が終わったと認識させる為に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を「終戦記念日」と言い換えてるだけに過ぎない。つまり、「終戦記念日」「終戦の日」という言葉そのものが戦後民主主義教育に因る洗脳であるのだが、それにさえ気付かない。

 15日以降、混乱は未だ続いていた。ポツダム宣言を受託した3日後の8月18日早暁千島列島最東端の占守島にソ連軍が奇襲上陸、戦闘は3日間続き終結した。8月20日には南樺太真岡郵便局員の女性9人が、最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。これでも8月15日は「終戦の日」か。

 総理大臣や政治家が靖國神社に参拝するのは当然だという。分からないでもないが、何故に8月15日であらねばならないのかが理解不能。春秋の例大祭で好いではないか。政治家が参拝することで陛下の御親拝が不可能になるならば参拝は控えるべきだ。英霊や遺族にとっての感激と光栄は陛下の御親拝に優るものはない。

 所属していた防共挺身隊初代総隊長の福田進は、その昔「8月15日は遺族の日であるから、決してオマエら行かない様に」と訓示した。今はそういうことを教える幹部がいない。現今の右翼の為体は指導者不足であり、他人事ながら心配になる。

 靖國神社へは、春なら桜の満開の季節に、夏はみたままつりに、秋は例大祭に参拝するのが好いと思っている。8月15日を「終戦記念日」だと疑わず遺族を押し退けて、靖國神社に詣で「哀悼の誠を捧げる」勘違い右翼や自称愛国者は、そんなことよりも5万円を支払って「終身正会員」になることに謹苦すべし。呵呵大笑。

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cordial8317 at 05:15│Comments(0)

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