2016年08月18日
「核保有国になれないという日本の憲法は我々が書いたものだ」
米国のバイデン副大統領が、我が国の核武装を容認する共和党トランプ候補を批判する中で、「核保有国になれないという日本の憲法は我々が書いたものだ」と発言した。核保有どころか、自らの防衛をも否定しているのが現日本国憲法である。
このバイデン副大統領の発言に対し、ワシントンの日本大使館は「現行憲法は帝国議会で十分に審査され有効に議決されたものだが、占領軍の強い影響の下に制定されたものだと考えている」との声明を出したが、反論なのか同意なのか中途半端。
現憲法を「押し付け憲法」と言うのは容易いが、現実は大日本帝国憲法第七十三条に拠る改正であり、であるならば第九十六条や第九条の部分改正という姑息な手段ではなく、大日本帝国憲法の復元・改正こそ我が国の執るべき道である。
昭和二十年十一月三日の、日本国憲法公布式に於いて昭和天皇は、「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」と裁可なされた。
当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、「天皇」条項存続の見返りに米国の様々な条件を呑まざるを得なかった。
現憲法の成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言っても好いだろうが、逆に失ったものは多い。「礼節」「長幼の序」「忍耐・我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」・・・数え切れない。
これら全てが憲法の所為なのかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神などは皆無に等しいくなってしまった。自分を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり美徳美風なのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れてしまった。
想えば、我が国は戦前と戦後では全く別な国になってしまった。無条件降伏した日本は米国の51番目の州になっても不思議ではなかったが、第二次世界大戦後の帝国主義の崩壊で免れただけ。その代わり米国は徹底した教育改革を行った。
その徹底した教育こそ「戦後民主主義教育」であり、その戦後民主教育は米国が意図した以上の効果を上げ、現在もあらゆる処に影響を及ぼしている。中でも、未だその戦後民主主義に侵されてる日本人というのは、米国の洗脳下に在りながら「反米」を掲げつつ、現憲法に関しては米国製の憲法を金科玉条の如く有り難がる。
護憲派の認識は概ねこんな感じ。第九条を「我が窮状」と歌う護憲派歌手の「ジュリー」こと沢田研二は「アメリカから与えられた憲法だという人がいるが、世界に誇れる宝物だと思う。特に惹かれるのは戦争を放棄するという部分。やられたらやり返すじゃない。日本人の宗教観で受け入れられる感覚だと思う」と宣う。
憲法9条の「戦争放棄に関する条項」は「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。然し、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往ったのである。
平和主義を憲法で謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。 沢田ら護憲派というのは、「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、それこそ日本人の奢りと、無知以外の何ものでもない。「護憲」とは正に「誤憲」というのが正しい。
戦後民主主義者というのは自分の考えに拘泥する余り、他人の意見に全く聞く耳を持たない。「誤憲」「人権」「平和団体」などの左翼らに共通するものは、物事の見方が薄っぺらで実に腹立たしいものが多過ぎる。副大統領の発言を機に、占領下で謀られた日本弱体化政策と、国内外に蔓延する東京裁判史観を払拭せよ!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
このバイデン副大統領の発言に対し、ワシントンの日本大使館は「現行憲法は帝国議会で十分に審査され有効に議決されたものだが、占領軍の強い影響の下に制定されたものだと考えている」との声明を出したが、反論なのか同意なのか中途半端。
現憲法を「押し付け憲法」と言うのは容易いが、現実は大日本帝国憲法第七十三条に拠る改正であり、であるならば第九十六条や第九条の部分改正という姑息な手段ではなく、大日本帝国憲法の復元・改正こそ我が国の執るべき道である。
昭和二十年十一月三日の、日本国憲法公布式に於いて昭和天皇は、「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」と裁可なされた。
当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、「天皇」条項存続の見返りに米国の様々な条件を呑まざるを得なかった。
現憲法の成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言っても好いだろうが、逆に失ったものは多い。「礼節」「長幼の序」「忍耐・我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」・・・数え切れない。
これら全てが憲法の所為なのかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神などは皆無に等しいくなってしまった。自分を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり美徳美風なのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れてしまった。
想えば、我が国は戦前と戦後では全く別な国になってしまった。無条件降伏した日本は米国の51番目の州になっても不思議ではなかったが、第二次世界大戦後の帝国主義の崩壊で免れただけ。その代わり米国は徹底した教育改革を行った。
その徹底した教育こそ「戦後民主主義教育」であり、その戦後民主教育は米国が意図した以上の効果を上げ、現在もあらゆる処に影響を及ぼしている。中でも、未だその戦後民主主義に侵されてる日本人というのは、米国の洗脳下に在りながら「反米」を掲げつつ、現憲法に関しては米国製の憲法を金科玉条の如く有り難がる。
護憲派の認識は概ねこんな感じ。第九条を「我が窮状」と歌う護憲派歌手の「ジュリー」こと沢田研二は「アメリカから与えられた憲法だという人がいるが、世界に誇れる宝物だと思う。特に惹かれるのは戦争を放棄するという部分。やられたらやり返すじゃない。日本人の宗教観で受け入れられる感覚だと思う」と宣う。
憲法9条の「戦争放棄に関する条項」は「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。然し、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往ったのである。
平和主義を憲法で謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。 沢田ら護憲派というのは、「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、それこそ日本人の奢りと、無知以外の何ものでもない。「護憲」とは正に「誤憲」というのが正しい。
戦後民主主義者というのは自分の考えに拘泥する余り、他人の意見に全く聞く耳を持たない。「誤憲」「人権」「平和団体」などの左翼らに共通するものは、物事の見方が薄っぺらで実に腹立たしいものが多過ぎる。副大統領の発言を機に、占領下で謀られた日本弱体化政策と、国内外に蔓延する東京裁判史観を払拭せよ!
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cordial8317 at 08:15│Comments(0)
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