靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である「核保有国になれないという日本の憲法は我々が書いたものだ」

2016年08月16日

日韓両国の愛国パフォーマンスはもう嗤うしかない!

 今日の産経新聞の主張を読んでぶったまげた。「戦後71年の終戦の日、東京・九段の靖國神社に多くの人が参拝に訪れた。国に命を捧げた人々の御霊に改めて哀悼の意を表したい」という。英霊に感謝の誠を捧げることは今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、靖國神社は英霊の死を悼み悲しむ場ではない。

 靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、戦前は国民が護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄これに優るものはなし。

 安倍首相に「何故に直接参拝しないのか」と疑問を投げかける。だが、中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。

 陛下の御親拝を実現させ、英霊の御霊を鎮めることこと大事である。保守を標榜する産経新聞がこのレベルなのだから厭きれるしかないが、産経新聞というのは保守というより、営業左翼の朝日新聞の対極に在る営業右翼、営業保守というのが正しい。

 閑話休題。韓国の国会議員団が竹島に上陸した。こうした「反日」を掲げる愛国パフォーマンスは嗤うしかないが、保守票を目当てに靖國神社に参拝する我が国の政治家らとどっこいどっこい。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が参拝したが、国会議員衆参合わせ700名以上いる中でたった67名とは情けない。

 これで「みんな」とは口が塞がらない。とっとと解散した方が好い。相変わらず日本政府は「極めて遺憾」と抗議しながら、議員団の行動と政府の認識は違うと大らかさも見せているが、「光復節」の竹島上陸が恒常化する危険も孕んでいる。

 周辺有事を想定する上でも、竹島問題を国際司法裁判所に提訴し、白黒付ける段階に来ている。 韓国が主張する根拠は、「三国史記」という古代朝鮮の歴史書に、「鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土」と書かれていることに帰着する。

 4~5世紀から韓国領だったというのだが、古地図では干山島は鬱陵島の西に接近していて、竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから、干山島が竹島ではないことは自明の理であろう。この事実は、考えることが出来る人なら誰にでも理解出来るのだが、他人の話に耳を貸さない頑迷固陋な韓国人には理解出来ない。

 抑抑、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁止されており、それより遥か先の島のことなど関心も認識も無かった。日本では徳川時代から魚採などが行われ、幾度も渡航していた事実があり、竹島は明らかに日本領土と言えよう。

 竹島問題を紛らわしくしているのは、日本ではその昔には「鬱陵島」を「竹島」と呼んでいたということぐらいなものなの。 昭和29年9月25日、日本政府は、この問題を国際司法裁判所に付託することを提議したが韓国側が拒否して頓挫した。

 韓国政府は未だに応じていないが、応じていないというより、応じられないというのが本音だ。韓国には譲歩してやることの無意味さを知るべきだろう。

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cordial8317 at 07:59│Comments(0)

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