2023年03月16日
人々の心の赤字を克服しなければまた同じことを繰り返すだろう(上杉鷹山)
道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、学んだことを如何に行動出来るかが大事。道徳教育の根本は教育勅語に示されている「忠孝の道」を確立することに在るが、幾ら教育勅語を諳んじられても実践が伴わなければ意味は無い。
多くの日本人というのは諸外国とは違い、育つ環境の中で道徳というものを自然に感じ取っている。先日のWBC日本対豪州の戦いで、大谷翔平選手がバックスクリーンに豪快な一発を放った。このボールをいわき市在住の女子大生がキャッチした。
ホームランボールは女子大生の手から周りの野球ファンに手渡され次々と記念撮影されたという。思い出を分かち合おうという気持ちが犇々と感じられる。
ホームランボールは暫くして女子大生の下へ戻った。このシーンを見た外国人は「有り得ない」と驚き感激しという。何気ない当たり前なことに驚く外国人に驚く。美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は日本を措いて外に無い。
道徳というものは教えて備わるものではないということは今回のこの行為でも理解出来る。「念仏(道徳教育)を百万遍唱えても実行、実現しなければ意味が無い」ということだ。愚生のブログの冒頭には哲学者・西晋一郎の言葉を記している。
「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」 。正に道徳教育で大事なものは国への忠誠心と親への孝養である。
我が国は、2700年以上の歴史が続く天皇を戴く君主国家である。そして神武建国の理念は、「八紘を掩(おお)ひて一宇となす」という家族国家の形成に在る。
日本を再生するということは、日本が欧米の様な国になることではない。日本を再生するということは、原点である「日本の背骨」を取り戻すということだ。
「日本の背骨」という原点は何であるかといえば、「君国に忠、親に孝」とである。つまり、我が祖国・日本は天皇(君)を戴き、全ての日本人(国)が、陛下の下に一つの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統(親)を重んじて、父祖(孝)に恥じない生き方を実現し継承するということが求められる。
我が国の貧困問題は、経済的な問題より精神的貧困の方が深刻だ。政治家を筆頭に「義」を守る者はおらず、利権に集り、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかりなり。国家の大本を米国に委ねていながら、魂無き繁栄に現を抜かしている現代の日本人には、国防意識や愛国心以上に、道徳感覚を涵養することこそ大事。
福澤諭吉は「木を植える譲道」として、「樹木を植えて、三十年経たなければ材木とはならない。だからこそ後世の為に木を植えるべきである。今日用いる材木は、昔の人が植えたものだ。とすれば、どうして後世の人の為に植えないで良いだろうか」と訓えている。目先の改革をやったところで何の解決も図れない。
小手先だけの改革よりも、将来を担う子供達を如何に育て上げるかが最も重要且つ必要なことである。逼迫する米沢藩の財政を改革した上杉鷹山はこう訓えた。
「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」
鷹山公の訓えた「心の赤字」を解消すること、つまり「心の教育」である「道徳教育」の実行であり、他人を労わる心を育む教育を如何に施すかが大事となる。
「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と言ったのは二宮尊徳。我が国の財政を再建する上で最も大事なことは、道徳教育の充実であり、国家への忠誠と親への孝養の実践を図ることこそ財政再建と日本再生の近道でもある。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
多くの日本人というのは諸外国とは違い、育つ環境の中で道徳というものを自然に感じ取っている。先日のWBC日本対豪州の戦いで、大谷翔平選手がバックスクリーンに豪快な一発を放った。このボールをいわき市在住の女子大生がキャッチした。
ホームランボールは女子大生の手から周りの野球ファンに手渡され次々と記念撮影されたという。思い出を分かち合おうという気持ちが犇々と感じられる。
ホームランボールは暫くして女子大生の下へ戻った。このシーンを見た外国人は「有り得ない」と驚き感激しという。何気ない当たり前なことに驚く外国人に驚く。美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は日本を措いて外に無い。
道徳というものは教えて備わるものではないということは今回のこの行為でも理解出来る。「念仏(道徳教育)を百万遍唱えても実行、実現しなければ意味が無い」ということだ。愚生のブログの冒頭には哲学者・西晋一郎の言葉を記している。
「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」 。正に道徳教育で大事なものは国への忠誠心と親への孝養である。
我が国は、2700年以上の歴史が続く天皇を戴く君主国家である。そして神武建国の理念は、「八紘を掩(おお)ひて一宇となす」という家族国家の形成に在る。
日本を再生するということは、日本が欧米の様な国になることではない。日本を再生するということは、原点である「日本の背骨」を取り戻すということだ。
「日本の背骨」という原点は何であるかといえば、「君国に忠、親に孝」とである。つまり、我が祖国・日本は天皇(君)を戴き、全ての日本人(国)が、陛下の下に一つの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統(親)を重んじて、父祖(孝)に恥じない生き方を実現し継承するということが求められる。
我が国の貧困問題は、経済的な問題より精神的貧困の方が深刻だ。政治家を筆頭に「義」を守る者はおらず、利権に集り、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかりなり。国家の大本を米国に委ねていながら、魂無き繁栄に現を抜かしている現代の日本人には、国防意識や愛国心以上に、道徳感覚を涵養することこそ大事。
福澤諭吉は「木を植える譲道」として、「樹木を植えて、三十年経たなければ材木とはならない。だからこそ後世の為に木を植えるべきである。今日用いる材木は、昔の人が植えたものだ。とすれば、どうして後世の人の為に植えないで良いだろうか」と訓えている。目先の改革をやったところで何の解決も図れない。
小手先だけの改革よりも、将来を担う子供達を如何に育て上げるかが最も重要且つ必要なことである。逼迫する米沢藩の財政を改革した上杉鷹山はこう訓えた。
「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」
鷹山公の訓えた「心の赤字」を解消すること、つまり「心の教育」である「道徳教育」の実行であり、他人を労わる心を育む教育を如何に施すかが大事となる。
「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と言ったのは二宮尊徳。我が国の財政を再建する上で最も大事なことは、道徳教育の充実であり、国家への忠誠と親への孝養の実践を図ることこそ財政再建と日本再生の近道でもある。
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cordial8317 at 05:37│Comments(0)
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