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2016年06月04日

財多ければ身を守るにまどし。害を買い累を招く媒なり(徒然草第三十八段)

 最高裁第二小法廷は、遺言状に記された花押は押印とは認めないとした判決を判断を下した。「花押」は、戦国武将らが挙って使用し、花押で誰からのものかが判断出来たし、現在でも閣議で作成される文書には、署名の代わりに花押が用いられる。ならば、最高裁の判断に倣えば、過去の閣議決定も無効ということになるな(笑)

「花押を記して文書を完成させるという一般慣習は我が国にはない」との指摘は甚だ疑問。「我が国には」というより「一般には」というべきで、ならば閣議で成された花押に拠る決定合意も無効と言われても仕方あるまい。亡くなった男性は花押を使用しており、那覇地裁や高裁で示された「花押は有効」とする判断の方が正しい。

 最高裁は、司法権を担当する司法に於ける最高機関ではあるが、最高裁で出される判決が全てが「正義」とは限らない。全ての裁判所(下級裁判所)は最高裁判所の下に置かれ、唯一の終審裁判所として上告及び特別抗告について裁判権を持つ。

 最高裁で判断するのは、その上告や特別抗告が現憲法に合致しているか否かだけ。つまりは「花押」の使用は、一般の認印や実印での押印とは違い、現憲法に基く法の下での平等の点から問題があり「違憲」とした安っぽい判断に過ぎない。

 愚正も、インチキではあるが花押を記し、手製の篆刻を押すこともあるが、花押があるだけで文章が格調高くなり、何か戦国武将にでもなった様で気分が好い(笑)

「財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき」(徒然草の第三十八段)

 意味は「財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招く元となる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ」。遺産相続を巡る記事を読みながらそんなことを考えた。その三十八段にはこんなことも書いてある。

「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝えん。これ徳をかくし、愚を守るにあらず。本より賢愚・得失の境にをらざればなり」

 要は「まことの人」とは、世間に対して知恵や徳や功績を誇ることなどしないので、世間では誰が本物の人であるかは判らない。だから伝えることも出来ない。当に立派な人というのはそういったことを隠し、元々損得とか名声などとは関係ない処にいて、唯々己の精神の充足を求めているに過ぎないと教えているのである。

 兼好は、下品な人や無遠慮な人、知ったかぶりをした自己顕示欲の強い人は「教養のない人」と説き、利欲を求め、長寿だけを願ってる人は「人生の何たるかを知らない」と訓える。要は、人生とは「如何に生きるか」、その経緯が大事なのである。

 兼好の様に職を辞し、精神の自由を求めれば生活は困窮する。暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。 愚生もしがない右翼浪人で生活は因果応報で慢性的不如意の日々が続いてはいるが、せめて精神だけは兼好の様に自由でありたいと思う。

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cordial8317 at 07:56│Comments(0)

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